うつのおかあさん-23 名札を捨てる
前回の記事の、電池が切れてからわりとすぐ受診日が来て、即1か月の休職となりました。
実はこの時の受診から病院都合で主治医が替わったのですが、多分当たりのガチャを引きました。その人が「今はもうなにもしないでください、本当に死んじゃうので。診断書ならいくらでも書くので」と言うので、付いてきてくれた夫に甘える生活が始まりました。
その1か月の間は酷かった。1日17時間くらい寝ていて、起きてもなにも出来ない。
よく女の人が鬱病になると起こると言われる「献立が決められない・買い物ができない」が今回初めて現われて、買い物に行ってもなにを買えばいいか分からず、冷蔵庫の中身を見てもなにを作ればいいか分からず、そんな全く働かない脳になってしまいました。幸いうちは夫が家事一通りできる人なので、本当に全部受け持ってもらいました。
ツイッターもはじめ3日くらい見られなくて、だんだん見られるようになって、少しずつ前のように『猫田』の名札を使えるようになりました。
そうしてだんだんできることが増えて、ふと
「仕事辞めよう」
と思えたのでした。10年間勤めてきた会社でした。初めて正社員で働いた会社でした。今までは転職するパワーがないから辞めるのを渋っていたけれど、ストレスの大元が職場になってしまって、しかも会社はきっと今以上のことをしてくれないだろう、となったとき、初めて私の中でくっきりと輪郭を持って「辞めよう」と思えたのでした。
そこからは早かった。職場に体調の連絡をするついでに退職の意向を伝え、有休消化に入り、退職日が決まりました。
あれだけハラスメント撲滅に力を入れている! と言っていた会社で、ハラスメントした側が退職せず続けるというのはどれだけ嫌なことだろうと思いましたが知ったこっちゃありません勝手に上から責められて苦しめクソ上司、と中指を立てながら辞めました。
加害者のいない日を選んで制服を返しに行き、ロッカーの中身を全てごみ箱にぶち込み、仲の良い同僚たちにだけお菓子を渡して去ってきました。
そうして私の10年半の名札が捨てられました。
今後悔はありません。有休分の給与が支払われているし(勤続10年の有給数はやばい)、後を濁さず去れたし!
そこからゆっくりゆっくり体調が良くなってきました。
良くなって、と言っても良いわけではなくて、17時間寝ていたのが12時間くらいになったとか、「○○作っておいて」と言われれば料理ができるとか、それくらいの。
危ぶまれた子供の学童も、診断書によって無事継続になりました。市にはずっと「できる全ての補助をよこせ!」で生きています。でもそれでいいじゃん、死ぬよりは。そう思って生きています。
今はもう、道を運転しながら「あの分離帯で死ねるかな」とは思いません。「子供が乗ってるから今はとりあえずやめておこう」みたいな思考もしません。食パンがなくなったから買ってこよう、で買い物にも行けるようになりました。
少しずつ、少しずつ、確実に。このまま良くなっていったら、その時また仕事を探そうと思います。
今はまだゆっくり歩きで。
*追記*
最近ツイッターで繋がった方からしたら「メンヘラかよ」と思ったかもしれませんが、そうですメンヘラです。でもネガティブなツイートをするくらいならツイッター辞める!と思っているので表面化することはないと思います。多分。多分。
そういう理由で今は自由を謳歌する時期なので、お付き合いいただければと思います。
おわり。