ルサンチマンという言葉を正しく認識できているかわからない
(別にゲーム業界にどうなってほしいとか物申したりしてるわけではないです。ただの日記です)
トゥメリメリが好きです。
トゥメリメリが楽しそうにゲームしている姿を見るのが好きです。
今日、トゥメリメリがSEKIROの一週目をクリアしました。やったでおい。
彼女はゲームうまおである。以前にもCUPHEADや超魔界村、Getting over itといったいわゆる高難度ゲーのプレイ配信をおこなっている。
難しいゲームを攻略していく配信は楽しい。繰り返されるトライアンドエラー、悲鳴、勝ち煽り、その先に立ちはだかるいっそう高い壁、初見殺し、悲鳴。そこには様々なエンタメが存在している。
けれど、自らが同じタイトルをプレイしてみようという気はこれっぽっちも起こらない。ディスプレイの向こうにいる彼女たちがどれだけ魅力的にうつろうとも。
配信で内容を把握して満足してしまったから?
違う、クリアできる見込みがないから。
未踏の領域に挑戦するのが高難度ゲーの醍醐味という向きもあると思う。でも、それは挑戦の末、最終的に壁を乗り越えられた人間の理屈だ。越えられなければカタルシスは発生しない。クリアできなければ、物語を享受することはできない。金と時間を引き換えに、何も得られない。言ってしまえば、クリアできないゲームはそのひとにとってクソゲーなのだ。
また、エンディングの前に立ちはだかるラスボスの撃破率は、3ルート側のラスボスで“17.4%”、残り1ルート側で“8.5%”です。仮にこの双方を足しても25.9%にしかならず、また各ルートを複数踏破した方を考慮にいれると、なんらかのエンディングに辿り着いた方は全体の1/4を下回るかもしれません。
剣聖 葦名一心: 30.6%
葦名一心: 13.8%
(2020年1月24日現在)
コアゲーマーの比率が高いであろうSteamの現況プレイデータであっても、過半数がクリアできていない。つまり、(僕の理屈で言えば)クソゲーと感じているひとのほうが多い。
こんなゲーム、ヘタクソの自分が買って楽しめるわけがない。GOTY受賞タイトルにクソクソ言ってしまって申し訳ないが、僕の視点からはクソゲーとしかうつらない。
そう、僕には過去の実績に裏打ちされたクリアできない自信がある。
某タイトルで2400時間を費しても自らが定めた目標に到達できなかったという事実、すなわち、自分は成長する余地のないゲーム下手だという確固たる認識が、思いのほか自身に暗い影を落としている。
ゲームが上手なひとになりたかった。挑戦して、乗り越えるよろこびを味わえる人間になりたかった。SEKIROを良いゲームだと評価できる側に立ちたかった。でも無理。クリアできる気がしないゲームそもそも買う気になんねえもん。
死にゲー・高難度ゲーを除外しても面白いゲームなんていくらでもある、他のタイトルで満足していればいい。とも思う。けれど各ゲームストアで、メジャー・インディーズ問わずそういった骨太な連中が存在感をあらわにしているのも事実なわけで。そういったジャンル特有のゲーム体験に対する憧憬はどうしても煽られる。そして諦める。
この精神的に不健全な状況、打破する方法があるなら知りたい。
(ちなみに、僕はそもそも「薄暗い雰囲気のゲーム」が苦手なのでたとえSEKIROが低難度モードを用意したとしてもプレイはできません)
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