被爆電車459号
1945年8月6日、爆心地から約1.32km横川新橋上で被爆したのが被爆電車459号です。十日市町付近の429号は全焼、横川新橋手前の158号は大破でしたが、459号は奇跡的に小破でした。
爆心地から1.2km以内ではその日のうちに50%の人が死亡しています。
被爆後459号は横川新橋上にありましたが、9/17の枕崎台風で橋とともに落下しています。
枕崎台風は広島県では死者・行方不明者合わせて2,000人を超えるなど被害は甚大であり、
原爆の惨禍に追い打ちをかけました。
以下は安佐南区の川内村の工場へ学徒勤労動員で向かっていて459号で被爆した、皆実高の前身の第一県女の被爆者の証言です。
「私は勤労動員で工場へ出勤(袋町の自宅から市内電車で横川経由可部線で川内の工場まで)の途中、横川新橋上の電車の中で被爆した。
ぴかっと光った瞬間慌ててブレーキをかける運転手さんを見たが、私はどうして電車から出たのかわからず、気がついたときには橋の上にうずくまっていた。
周りの人の顔は、灰まみれで皆お化けのようだ。川に落ちてワーワー助けを求めるもの、泣きわめいている者、背中の皮がべろっとはげて下がっているもの、「子供が、子供が死んでやしませんか」と叫ぶ母親。
地獄絵の中で放心したようにうずくまっていると、「何をしとる、早う逃げんか」と誰かに怒鳴られて、はっと思って立ち上がった。気がつくと足に怪我をしている。急いで三角巾で縛り、郊外に向けて走った。
川内の工場まで4キロ余りも歩いたあいだ、痛みを感じなかった私が、着いた途端に支えてもらわなければ一歩も歩けなくなった。
途中電線にしっぽを縛り付けられた牛を見た。生きているのか、死んでいるのか?」
この兄弟は原爆で両親を失ったが、6人兄弟の長女で親代わりになって戦後を乗りきり、2020年現在91歳の長女を頭に6人全員元気で暮らしています。
被爆地には70年は草木も生えないと言われましたが、被爆3日後には復旧一番電車が走ったそうです。