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プレゼントーク翻訳ー山登り
こんにちは土庫澄子です 昨年暮れにオンラインで話したカネミ油症のプレゼントークの英訳 下訳のチェックをしてくださる方を探して依頼し、何度かのやりとりのあとチェックが終わり、手元に2種類の訳文がならんで一週間がたちました
最初の2日ほどは夏バテも手伝って休養しました メンタルと原稿を休めてただゆったり過ごしました
3日目から訳文を読もうという気持ちが湧いてきて、というより訳文がいまどうなっているのか心配になり、訳文を読みはじめました
作っていただいたチェック済みの訳稿にはチェック者の考え方や流儀がちりばめられています
チェック者は理系の方ですが、慣れない法律や裁判のことまで丁寧に調べてくださり、頭がさがります 実直なだけでなく調べる力も高い方です
わたしはいま、二本の訳文を前にもう一度、まっさらなところから見直そうと思っています
もともとプレゼントークはカネミ油症の被害者の方々に向けておはなししたものでした
これから英訳するとして、翻訳はだれに向けているのか これがチェック者の方から最初にいただいた質問でした カネミ油症に関心をもっていて、英語なら直接読めるという方々に向けて訳したいと伝え、話し合って、チェック作業はスタートしました
和文と英文では読み手の立場がまったく違います そこのところを翻訳に反映しよう、もし反映しなければ英文の読み手にはなかなか通じないでしょうというのが話し合って得られた共通了解でした
なのに、わたしはいまちょっぴり迷っているのです
ただプレゼンといえばすむのに、わざわざプレゼントークなんてへんな和製英語でいうくらい、和文原稿はできるだけ分析や論理を省いてかみくだいた語り口調です
わざわざトークをつけたくなったのは、画面の向こうにカネミ油症被害者の方々がいらっしゃるからです
プレゼントークを英訳すると、英文の読み手はカネミ油症被害者ではなくなるでしょう それが共通了解なわけですからそのとおりなのですが、あらためて考えてみると英文だろうと和文だろうと、プレゼントークのコンテンツは、昨年の12月6日オンラインでつながった向こう側で画面をみ、はなしを聞いてくださった方々に向けたものに変わりありません
わたしの拙いプレゼントークにもしなんらかリアリティがあるとすれば、それは被害者の方々に向けて初めて直接に語っているという一点なわけです
ここまできて、このリアリティとでもいうべきものが気になるのです
プレゼントークのまえ、カネミ油症についてわたしが公表した原稿はスクエアな書き言葉ばかりでした 法律系の雑誌に寄稿したものでしたので、読み手は主として法律家や行政関係者を念頭においていました
カネミ油症の被害者救済をテーマに自分の理解や考えをなんとかまとめ、画面の向こう側にいらっしゃる被害者の方々に向けて直接語るのはいま振り返ってもずいぶん勇気がいる冒険でした
プレゼントーク原稿には、聞き手が被害者の方々だからこそと自分ではおもっている言い回しがいくつかあります もし聞き手が被害者の方々でなければ、まるきりちがう筋立てや言い回しにしていたかもしれません
ここまで書いてきてやっといいたいことがわかってきました プレゼントークは被害者の方々との直接のコミュニケーションという文脈に置いてはじめて意味をもつのです
プレゼントークを準備し、当日おはなしをしているあいだ、英語のえの字も思い浮かべたことはないのですから、いざ英訳にあたって当日の聞き手と英訳の読み手の違いに悩むのは仕方がありません
本人が訳しているので、その分余計に自縄自縛といいますか、当日の聞き手と英訳の読み手のちがいに突き当たってしまうのかもしれません
このプレゼントークにおける発話の文脈を考えてみますと、英訳だからといって、もともとの特定の文脈から外していきなり別の文脈に置こうとするのは無理があります
ジグソーパズルで、別のジグソーパズルのピースをなんとかはめようと四苦八苦したあげくにまったくあわないと嘆息するようなものでしょう
英訳作業の山登りをせっせと登って何合目かまできたところで、またどうしてこんなに逡巡し、思い迷うのでしょうか
チェック者とのやりとりのなかで、どうしても英語化できない一文がでてきたからなのです
わたしが下手すぎる下訳をしたときに、わたしの英語能力はさておくとしても、うまく英語にならない感じをもった一文がありました
この文、短いけれどなんだかむずかしいわ あとでチェック者のお知恵を拝借しましょう 困ったあげくにそう思ったのでした
ところが甘い期待は見事に大はずれ チェック者からの返事はこの文は訳せませんというニュアンスでした 幸か不幸かこんなところでも二人の意見はぴったり一致 万事休す相談のすべがありません
分析的、論理的にいわなくても伝えられるとおもうところはできるだけスクエアな書き方をしないようにしようという和文の方針が、英訳の場面ではかえって裏面に出てしまったようです
後悔先に立たずといえばそれまでです でも、分析的、論理的でなければ英語にならないというわけでもないはずです
英語の接続詞にはさまざまなニュアンスがありそうですし、大好きな曲の英詞が分析的だというわけでもないでしょう
和文が分析的、論理的に書かれていれば正確な英訳がきっとしやすいでしょう けれど和文が文脈依存的なニュアンスを強くもつときにはそうはいかない、むしろ自由な意訳であれ、言葉の垣根を越えてニュアンスを伝える英訳をするのはそうそう一筋縄ではないというあたりでしょうか
せっかくだから英訳したらどう? 知人がおもわずいった一言でうそかまことかはじまった翻訳作業
なにかとつらつら考えて立ち止まっていては一日どころか今年だってあっという間に暮れてしまいそうです
時の移り変わりが気になってみわたせばいつの間にかすっかり秋 柿が薄く色づきはじめ、夏の疲れが遠のいていきそうです
気をとりなおし、秋のうちにもうひとがんばり山登りしてみましょう
もうすこし先へいってみたら紅に染まる景色がみえ、ああ来てよかったとおもえるのかもしれません
ここまで読んでいただきましてありがとうごいました☆
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