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プレゼントーク翻訳ー旅の途中で

こんにちは土庫澄子(トクラスミコ)です。なりゆきでPL法とカネミ油症について考えるようになり、昨年暮れに柄にもなくオンラインプレゼントークをし、いまはプレゼントーク原稿を英語に翻訳しようとボチボチやっています

偶然のなりゆきまかせにカネミ油症の研究をはじめてまだ一年ほど、いきなりオンラインで講演をし、講演映像をyoutubeに残しましょういいですね!?というはめに陥ったわたしは、逃げも隠れもしないと覚悟を決めたもののすっかり警戒中のハリネズミ状態になっていました

PL法の本を書いたことがあるといっても初版も第2版も奥付に顔写真を載せることさえやんわりおことわりしたくらいの精神的引きこもりなわたし  プレゼントークの依頼を受けた一件とコロナ禍があいまって、2年ほど前に亡くなった父の部屋にたてこもり、からだ中のハリを逆立てて気を吐いていたのです

ハリネズミがプレゼントーク原稿を英訳しようとおもったいきさつはたしか前に書いたので、ここでは翻訳旅の途中でちょっと気づいたことを書いてみます 翻訳家ではないのでまるで初歩的な悩みだったり、こんなこと言ってるのはあなただけよやっぱり変ね的に呆れられるかもしれません  緑薫るGWまっただなか本人はいたって大真面目ですのでどうぞ大目に見てやってください

今日はとにかくハリネズミの話がしたいのです 予想が外れて妻鳥千鶴子さんの英語プレゼンテーション指南本をあまり使うことなく毎日ぽちぽちと訳していくうちに、ハリネズミだった自分を懐かしく思うようになりました ハリネズミが書いた文章を眺めているのですから無理もありません

とうとう本物のハリネズミの気持ちが知りたくなって、ジャン・ブレッド「ふゆごもりのまえに」を注文しました 絵本は大好き、おまけに今をときめく鴻巣友季子さんの翻訳です

鴻巣さんの訳文が楽しみで待ちきれず、近くのくまざわ書店をのぞいてみたらありました 「ふゆごもりのまえに」がちゃんと一冊ありました こちらの書店では子どもが自分で読んだり、子どもに読み聞かせたりできるスペースがあるので、お邪魔はいけないと立ち読みせずおとなしく帰宅しました 家でじっとしていても楽しみは増すばかり 手持ち無沙汰に鴻巣さんのTwitterをのぞいてみたら、気になるツイートを見つけたのです 引用させてください

日本の映画を英語に翻訳するときにハリウッドの「現行の翻訳方法」は、

「日本語脚本を英語に直訳→アメリカ人脚本家がこなれたセリフにする。   この方法だと仕上げをする人が原文の本語を読めないのでとんでもない意味になってしまうことがある。                     えーっ!」

鴻巣さんは次のツイートで続けます

「ちょっとこの問題については、こんど翻訳家同士でも話し合いたいと思います。」

ふたつのツイートを見てそういえばと思いだしたのが、前のnote「プレゼンを英訳してみる企画はじめます」です ハリウッドの現行の翻訳方法とよく似ていて、まず自分で下訳をやってみて、あとはネイティブの方か英語の上手な方にチェックしていただこうと考えています

自分で宣言したこの方針でぽつぽつやっているのですが、わたしの変な話はここからはじまります 風変りな話が嫌いな方は斜めにやり過ごしてください きっと無駄に混乱しますので。。

まず、鴻巣さんのツイートにある「直訳」のところです わたしの下訳作業はどうも直訳ではありません わたしは日本語の文章を書くときには、論理の角をとり、まるめて書いています 日本語の表現ではあまり論理的にとがった表現を使うと無駄に硬質になってしまうとおもうからです

法学研究室時代のわたしは当時の先生から「君の文章は全部が生硬だ悪文だ君は悪文家だ」ときびしくいわれ、人知れず傷ついたものでした 頭が固いとたしなめられたようにも見えますが、それだけではなかったかもしれません

法学研究室時代の文章といえば、若書きなうえに論理的に書くことにこだわっていたとおもいます ところが、日本語で書くときには、あまり論理的すぎるとかえって伝わらない何か、理解の妨げにすらなりかねない無益な何かを醸し出してしまうようです 明治の脱亜入欧で西洋法を受け入れている法学の分野でもそうなのですね

わたしの経歴は変わっていて、法学に進む前、10代から学んだ哲学や神学は古代中世から近世近現代までいつも論理学をベースにしていました 法学から哲学に進む方、いってみればのぼり道を行く人は思想史をさかのぼるとヘーゲルを先頭に優れた先例があるようですが、哲学から法学に進む、くだり道を行く人はめずらしいみたいです そんな思想史の事情は露知らず、わたしはなんの気負いも衒いもなく哲学→法学のくだり道を進みました そんなでしたから、法について書くときは生まれ育った故郷のような哲学をベースとして、文章の構成は論理的でありたいと至極あたりまえのように憧れていたのだとおもいます

法哲学研究に明け暮れていた頃、変人だ雀百まで踊り忘れずだ帰国子女の言葉遣いだ日本語がおかしいなどとこれでもかと言われましたが、周囲からみれば時間が経ってもまわりに染まり切らない一種の異質感があっただろうとおもいます 思い起こせば書き上げた論文草稿を黒い革靴でギシギシ踏みつけられるなんていうとんでもないことまで当時はありましたからまあ相当なものでした(´;ω;`) 

当時はどこか大学で研究をつづけていく人生しか考えられませんでしたから、研究が危機に瀕したときになんとか命をしのげたのは幸いでした いまでも朝起きると命あって生きていることに助かった安堵を感じるときがあります 大学での研究にこだわりをもたず、命を選びとって、わたしの場合はそれなりに正解だったとおもっています あのうす暗い密室が今は昔過去の遺物になっていればそれでよいだけです。。

だいぶ話がずれました 雀じゃなくてハリネズミが書いた文章の翻訳の話に戻ります プレゼントーク原稿は、論理的な構成をベースにしていますが、法学の専門性をもたない方に向けた文章にするときには論理の角を削り、トゲを抜いてできるだけまあるく作るようにしています 三角なとんがったところでもいちごみるくみたいな仕上げ感です 

まあるく書く練習はこちらもなりゆきまかせ偶然経験した役人時代に寝る間も惜しんでたくさん訓練しましたから、自分で言うのもなんですが慣れたものです 生硬カチコチ時代はとうの昔、霞が関界隈を走り回って研鑽を積んだおかげでわたしもいつしか角がとれてオトナになりました 最初の頃はこわかったと同僚にいわれてもピンと来ませんでしたが、葉が生い茂る山奥に流れる渓流の石みたいなもので凸凹がだんだんとれやがてつるんとしてきたのでしょう 論理で固めてカチカチにしたもの(実はこれだって考えを練っていくうえでは大事な工程なんです)を、解凍して食べやすく飲み込みやすいようにまるめています 

論理的構成はプレゼントーク原稿のしつけ糸みたいなもの、端を切ってすーっと抜いてしまえば雲散霧消の白昼夢もはやあとかたもありません 調子に乗って最後にショコラシロップをかけたら甘い香りがしてちがう世界にいっちゃいますけど、たまにはそんな風にしたくなるときだってあります 

ですので、もし翻訳実用書を使ってプレゼントーク原稿をいきなり英語に直訳すると、ほとんど意味不明な文章ばかりが延々と続くペーパーになってしまうとおもいます そうならないように、下訳では隠れている論理的な角だのトゲだのをひっぱりだして英文に生かすように工夫しています 意訳や超訳ともちがう気がしますが、こうでもしないと英語では伝わらないのではないかと気になるのです 動詞はとくに重要かなあと考えています

というわけで、ハリネズミの書いた文章をぽちぽち訳しながらちょっとした寄り道でした 哲学だの神学だの論理学だのわたしの変な経歴の話がはさまっているので、読みにくかったらごめんなさい🙇

日本語には玉虫色の文章といわれる独特の美しさや通りやすさがある反面、論理性をもたせないと英文にしにくいというのはいまのわたしにはなかなか含蓄があるのです

鴻巣さんのツイートは日本の映画のなかで感情をやりとりする台詞の話がメインで、プレゼン原稿が内包する論理性云々の話じゃないのかもしれません 初夏のある日ツイートをちらとお見かけしたハリネズミにはこんな風に響いたとおもっていただければ嬉しいです 

拙いものをここまでお読みいだだきましてありがとうございました☆



 





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