ケア日記ーわらび餅 3月15日
庭は日ごとに春らしくなり、淡い黄色の花々が春を呼んでいます 母は無事に誕生日を迎えました 娘の欲目かもしれませんが、昨年一昨年の誕生日よりも心身ともに落ち着いて元気になったようです
3月には母の母、祖母の命日があり、わらび餅をつくりました このごろわが家ではわらび餅つくりがマイブームで、今日も練習しようなどといいながらときおり木しゃもじを手にせっせと練っています
祖母のお供えには青大豆でつくってあるほんのり青い香りがするうぐいすきな粉と甘い香りの黒蜜でちょっと気取ってみました
祖母に連れられて近くの山里へ何度ヨモギ摘みに行き、夕食の支度を忘れるほど草餅をつくったかしれません 摘んできたよもぎを新聞紙のうえに広げ、粉まみれ、手が緑色になりながらつくったよもぎ団子作りは楽しかったです
山盛りの草団子を見ては父はいつもこんなにたくさん一体誰に食わすんだと半ばあきれながら苦笑していたものでした そういいつつきな粉をかけてひとつくれといい、これはお前の指かといいながら団子につけた三本指の跡を眺め嬉しそうに真っ先に頬ばるのも父の常でした
思い出の祖母は一張羅の着物を着てすましているよりも、針をもって布団を打ち直したり、庭の草とりで汗をかいたり、お風呂上りにいまからおもえば失礼ながらみんなでくすくす笑っているのをものともせずに白く長い腰巻を巻く位置をおおまじめに確認しながらひとまきふたまき腰に巻きつけていく姿です
祖母が元気だった頃、色とりどりの花が咲き始めると家の近くでは春の勢いにまかせてヨモギがこれでもかとばかりに生えていました 湧き水が流れる小川にはザリガニがうじゃうじゃいて、白く透きとおったエビがぴょんぴょんはねていました
いまザリガニと透明なエビはすっかり姿を消しました 空を見上げればあたりの陽気は懐かしい春になっても、美味しそうなヨモギは足元のどこを探してもありません 実家で迎える春はたしかに春ですがあの草団子作りができない寂しい春がやってくるようになりました
キッチンで新調したばかりのクリーム色のガステーブルに鍋をかけ、わらび餅粉に水と黒糖を入れ、中火にかけて練りながら母に聞いてみました
「おばあちゃんは、わらび餅好きかしら?」
しばらく考えて母がいいました「さあねぇ食べたことないんじゃないかしら? おばあちゃんは草餅よくつくったわねぇ」
「小さい頃よく一緒に草餅つくったわ。今日のお供えはわらび餅でいいかしら?命日だものほんとは好物の草餅の方がいいんじゃない?」
母は今度は一秒もおかずにきっぱりといいました「わらび餅でいいのよ おばあちゃんこれ好きよ」
「どうして?」
「ウチでつくって好きなものはおばあちゃん好きなのよ」
慣れた手つきでお茶とわらび餅をおかわりしながら、母はふんふんと自信ありげに澄ましていました
ふと思い立って店先で見かけたわらび餅粉を買ってきてはじめてわらび餅をつくったのはひと月くらい前のこと、母の誕生日のころでした 外箱に書いてあるとおり火にかけて練ったわらび餅を試食したら、あたたかいままいただくのが京都の和菓子屋さんみたいで嬉しくなりました 疲れたのか早めにベッドで休んでいた母をわざわざ起こしにいったくらいでした
「ねえ起きてる? わらび餅をつくってみたんだけど食べる?」
「わらび餅? 珍しいわね? ちょっと起きようかしら」
こういうときの母の着替えは、なにかにピンと来たのか、ふだんの超ゆっくりモードはどこへやら、びっくりするほど手早いです 着慣れたものにいそいそと着替え、お気に入りの短いシルクスカーフを襟に巻いて仕上げ、これでいいかしらなどといいながら居間にあらわれました
小皿にわらび餅をのせ、きな粉と黒蜜をかけて、小さなスプーンを添えてテーブルにだしました
「わらび餅、はじめてつくってみたのよどうぞ」
母はだまって小さなスプーンを動かし、口に運びました もぐもぐ またスプーンを動かし、黙って口に運びました もぐもぐ お茶をひとくち口にふくみ、スプーンを動かしてはなんにもいわずもくもくと口に運んでいました
わらび餅は失敗しようがないほど簡単なレシピですからちょっぴり自信があったのに、母は下向き加減のまま黙って口に運ぶだけで表情すらわかりません これってなんだか残念だわ なんにもいってくれないのかしら?
まあこんなものね仕方がないかしらとしばらく母を眺めていました こんなこともままありますねとあきらめかけた頃、待ちに待った母の第一声が聞こえました
「わらび餅ってあったかいのね」でした
「あったかいでしょ。京都の東山にある和菓子屋さんに行くとねえ、店の脇に小部屋があって、そこで食べさせてくれるの。いい感じの木のテーブルと椅子が置いてあってね、素敵なお盆であったかい葛饅頭を出してくれるのよ。作り立てはあったかいのよね」
「あ、そう」
興味なさげです 母は黙々と小さなスプーンを動かし、すっかり食べ終えると小さなお皿に残ったきな粉をながめ、なにやらじっと沈思黙考していました なんともいえず時間が固まったような感じがします しばらくして母が放ったつぎの言葉は「じーじこれ好きよ」でした じーじとは三年前に他界した父のことです
父がいた頃、母がわたしに向かっていう「これ好きよ」は、今度父親につくってあげなさいという意味でした ちょっと驚いて母の顔をのぞき見るといかにも「今度つくってあげなさい」という顔つきをしていました 長年の連れ合いですから、母はひと口味見をすれば父の好物かそうでない代物かがわかるらしいです
若い頃の父の写真立ての前に作り立てのわらび餅がのった小皿がないのを母は横目でちらりとみて、あんたなんで先にお供えしてあげなかったの? 突然母に叱られたような気がしました
父親の記憶とわらび餅がむすびつかず父の好物とかお供えとか頭をよぎりもしなかったわたしは、意外な言葉にあわてました
「はじめてつくったのよ。これ好きなの? お供えするの忘れてあたしたちだけいただいちゃったわね」
「あんた、これ好きよ!」母の語気はがぜん強くなりました 潤んだような目が怖い
母は、あんたは自分でつくってこれ好きよに気づかなかったの?なにやってるの?と娘のわたしをなじらんばかりの真顔になっていました
「これ好きよ、つくってあげなさいっ」その声は天井から響いてくるような威厳に満ちた命令調を帯びていました。
すっかり降参してわたしは言いました。「わかったわちゃんとつくるから」
ちょうどひと月くらい前のそんなこんなわらび餅の一件を思いだしたので、祖母の命日にかこつけて父のあたらしい好物となったわらび餅をつくったのでした
母曰く、わらび餅は今年の命日から祖母の好物にもなったらしいです 母は自分の好物だとはいわないんですね 仲良しの母娘でも長年の夫婦でも好みがすべて合うわけではないでしょうし、ちょっと好みがずれるのもまた面白いでしょうから母自身の好みはかなり謎です
それにしても「ウチで好きなものはおばあちゃん好きなのよ」のセリフは初めて聞きました 祖母が生きていた頃、そういうセリフは聞いたことがありませんでした
だいたい祖母がやってくると今日は〇〇にしようとひとりで決めて腕まくり、腕によりをかけてなにかしらつくってくれるのでした
祖母は家にやって来るなり割烹着に着替えると張り切って台所に立つひとでした 旬の野菜をトントンと音を立てて切ってはいろんな煮物をつくってくれました 包丁の使い方を教えてくれたのは祖母でした
祖母の手料理をみんなで喜んで囲んでいましたから、祖母がいるときに母やわたしが祖母の好みに合わせてつくることはなかったんじゃないかしら? 母は祖母が好きそうなものをつくって遅まきながら親孝行をしているのでしょう
家族が好きそうなものをつくってあげるのが楽しい、それは朝昼晩キッチンに立つ暮らしではなんの変哲もないことです 母はわたしがはじめてわらび餅をつくった日以来、まるで自分の役目を取り戻したように不思議な生気に満ち、心なしか元気になったように感じます
父を亡くして以来、母はずっと蚊取り線香のようにまるくなった時間を生きていると思い込んでいました 丸く閉じた時間のなかに新しいものごとが入り込む空き間はないように感じ、変化を起こさないように暮らしていました
たまたま気が向いて初めてわらび餅を練ってみたあたりから、どういう風の吹き回しか母の時間はまっすぐに伸びて直線に戻ったようでした なにも気づかないのはわたしだけだったようです
母が生きる時間は春の庭先で美味しそうな葉っぱを探すシャクトリムシのようにまるくなったりまっすぐに伸びたり、閉じたり開いたり思いのまま自由自在に形状変化するようです
この三年ほど、母の円環的時間にわたしのおそらくはまっすぐな時間がどうやったら折り合いをつけられるか、明け暮れそんなことばかり考えて過ごしていたのです 背筋を伸ばして後も見ず娘の存在など忘れたようにまっすぐ伸びた時間を歩いていく母の姿に裾を払われました
「言ったことはすぐ忘れ、やったことはすぐ忘れるのよ どんどん忘れるのよ自信ないわ あんたも大変ね」と平気で言っている母は、とうの昔からずいぶん忘れっぽい性質で、父もやれやれとだいぶ困っていたらしい筋金入りです
そんな筋金入りの母が祖母の命日をカレンダーに書き込んでいたのは、思い出すかぎり今年が初めてです なんでも行雲流水のごとくはしから綺麗に忘れてしまう母が、祖母の命日を忘れないようにカレンダーに書いておくなんてことは、さかのぼってみてもこれまでの母からは考えられないことです
この春、母はどんな時間を生きるのでしょう シャクトリムシの形状変化だけでもないような気がしています
細かいことはキライで少々大雑把な母ですが、持ち前の元気さと好奇心に満ち、くいっと前を向き、あたらしい時間を生きていこうというのなら、どんな形状の時間でも面白がって折り合いをつけ、なんとかつきあっていこうとおもいます
誕生日を迎えた母よ、春風のなかどんな姿形の時間をくりひろげてくれてもきっと娘は大丈夫ですから安心してくださいね
ここまでお読みいただきましてありがとうございました☆