父の茶碗ー10月11日
母と暮らして5年目。父が亡くなったさびしさを互いに気づかう時期をくぐり抜け、母は妙に強くなった。嬉しさ半分、とまどい半分。
ケアされるくらいなら同居したくないと、母は朝晩あの手この手、ノンストップで力の限り話し続ける。互いをすり減らす日々はやがて終わる。母の全力投球に匙を投げ、わたしはケアという言葉を捨てた。ではなにをしているのか。言葉がみつからない。
落語にいう。宗論はどちらが勝っても釈迦の恥。母のマイルール、私のマイルール、どちらが勝っても母娘の恥。たいがい母の圧勝だが。
遠距離別居の娘や息子がたまに顔を見にやってくるのが関の山という近所のお年寄りから、こんな母娘にも羨望のまなざしが飛んでくる。
うーん。へとへとでも、傍からみれば仲が良いとみえる。
車で30分ほどの距離で親と別居する人から、たまに電話がかかって来る。長電話だ。実家に顔を見せてほしいという四捨五入で100歳になる母親と、行きたくないと言い張る娘。娘さんといってもわたしより優に一回り以上も年上だ。母と娘、どちらも長丁場の諍いだが、互いに意地を張り、負けない。
電話口でよよと泣かれても、なんといえばよいのかわからない。わたしは親と同居を選択した。同居が正解かはわからない。運命を受け入れるように同居を選択した。ただそれだけ。
隣り近所に聞こえよとばかり母の大音声がはじまる。わたしは黙る。いつものルーティン。
母を振り切るようにつと立って、夕食の支度をはじめた。秋茄子の煮びたしに、二人とも好物のカマスを焼いて、しじみ汁。しじみ汁の出汁は横須賀走水で買ってきた早煮昆布。夏のはじめ、二人で横須賀美術館の運慶展を見に行った帰りに買ってきた。鎧を着た鎌倉時代のいかつい仏像を思いだす。昆布がいい香り。
母の手に父が使っていた大ぶりの茶碗。台所の棚の端の奥のほうにしまっておいたのをみつけた。
母は茶碗をしげしげと見ながら何度も聞く。
父の茶碗を忘れた母の横顔に気持ちがふさがる。聞こえないよう小さな吐息をつく。老いるとは、父のために毎日ご飯をよそっていた茶碗を忘れること。
それ父のじゃない?なんて今更思いださせては可哀そう。母は茶碗を眺めまわした。
薄藍色の模様が入った懐かしい茶碗にご飯をよそうと、母はトンと私の前に置いた。いただきますと言って黙って箸を動かす。
父の茶碗を手にもつのは久しぶり。茶碗をちょっとかしげてもつ父の長い指先が浮かぶ。わたしの指先は父に似ている。お前の手は男の手だなあと父は至極残念そうだった。
父の真似をして手指をちょっとかしげてみる。父の手だ。
こんな風に毎日ご飯食べていたんだわ。青い模様をみつめながら黙って箸を動かす。母はなにも言わない。茶碗の底にご飯を十粒残すと、お茶を注いだ。お茶漬けは父の好物だ。
父の流儀をまねしているうちに、父と食事した時間がよみがえる。母は黙ってみている。父の茶碗とわかっている。はじめからわかっていた。
だしぬけに母がニヤッとした。わたしはウンとうなづくと、煮びたしをつまんだ。
父のいたずらか、母のいたずらか。母とわたしの食卓に、父は茶碗に化身して帰ってきた。9月の終わり、残暑がようやく薄らぎ、わが家に訪れた秋のお彼岸だった。
2,3日して、件の娘さんから長電話がかかってきた。お母さんが遠方の老人ホームに入るという。話しながらぐずぐず泣いている。涙の感情はわからない。ホームに面会にいくつもりだろうか。気になるが聞かない。どのみち正解はわからない。ただ聞くしかできない。
10月11日。庭の甘柿が熟し、茗荷の花が黒土の上に白く開き、秋になった。横須賀の三崎から軽トラで魚を売りにくる日だ。軽トラで週一まちに通って30年だか40年だかの二代目だ。
マグロと粕漬けを買う。三崎の人は包丁を手際よくスイスイ拭きながら言う。
手をジャージャー洗うと三崎の人はあははと笑った。海焼けの肌に潮の香がする。わたしは同居で良かった。母の話でだれかと無邪気に笑い合える瞬間があるなら、いまはそれで十分だ。今夜は三崎のマグロでお祝いしよう。