ケア日記ー色見本 10月14日
フォトギャラリーでパレット風のイラストを見つけ、ケア日記を書きたくなった土庫澄子です 去年の台風を経験し、そろそろ潮時と実家のメンテナンスをはじめました
実家は改築やら増築やらで60年くらい経っています 家のまんなかにある部屋は一番古く、いまも健在です 幼稚園まではこの部屋で家族みんなで寝ていました 今朝はなにかとお世話になっている職人のMさんに来てもらい、あちこち小さなところを直してもらいました
木のドアがちょっと傷んだとか、お風呂場のタイルが古くなったところがあるとか、キッチンの床下収納の把手がどうしたとか、そんな細々したところを手際よくササっと直してくれました さすがプロの腕前です
台風対策のひとつは家の外壁を塗り直してもらうことです ひとしきり修理が終わりイタリアンコーヒで一服しながらMさんが薄い色見本と分厚い色見本をとりだしながら言いました
「壁の色決まりました? 色見本もってきたよ」
わたしは薄い方の色見本を開いて、外壁の色と照らし合わせてみました いまの外壁はほんのり薄くグリーンを一滴溶かしたようなペールグリーンです 父は壁をペールグリーンに塗ったとき妙に気に入っていたのを思い出しました 屋根瓦を濃いグリーンにしたり、グリーンの毛糸で編んだセーターとマフラーがお気に入りだったり、なにかとグリーン系が好きな父でした
40色くらいの色見本のなかに父が気に入ってセレクトした色をみつけ、わたしは言いました
「412番かしら? このペールグリーンであってるとおもうけど。。」
「いまの色はそれね おなじにするの? ピンクなんかどう?」
「ピンク? 古い和風の家にピンク? 洋風な新しいおうちはピンクに塗るお宅があるみたい オシャレだけどウチに合うかしら? どこかのカフェみたいじゃない?」
「そう? あのねえ、家を黄色に塗るひともいるのよ 真っ黄色じゃなくて山吹色ね 黒とツートンカラーとか 塗ると綺麗なんだよ」
「山吹色? 黒? ツートン?」
「そうそう変えたのよって近所にもわかるでしょ 気分変わるでしょ? 壁の色は大事なのよ」
Mさんは薄い色見本はスタンダードであんまり面白くないんだといいながら分厚い色見本を何度もめくっては見せてくれました 分厚い方は350色以上の見本が束ねてあり、どれも綺麗です
「いまの色しか考えてなかったわ 父が気に入っていたから。。」
「あ、そう? お母さんとケンカしないように考えといてね? なんにも思いつかなかったら412番でいいんじゃない?」
あっけにとられてぽかんと聞くだけのわたしを後目にMさんはまた来るよといってさっさと引き上げていきました Mさんのワゴン車を見送りながら、父と仲よかったMさんが藪から棒にピンクはどうかなんて言い出してよくわからないひとだと思いました
Mさんが帰ってからイタリアンコーヒーをいれ直し、家のメンテってなんだろうと考えました このあたりからワタシの哲学スイッチが入ります
父が亡くなってから父の暮らしをなぞってきた自分がいます キッチンで父が好きなものを作っては母と一緒に、ときどき妹も一緒に食べ、父が好きだったわが家の年中行事に忙しく過ごし、父が好きだった暮らしをそのまま母と暮らしていくのがわたしの生活と思っていました
ピンクといえば大人になってからピンクが好きになりました 哲学やら法学やらの勉強が長かった青春時代、ピンク色はどこか別世界の色、わたしの世界には存在しなかった気がします 仕事をして東京でひとり暮らすようになってそれまでのモノトーンな人生を埋め合わせるようにピンクが大好きになりました とくにローズ系のピンクが好きです
イタリアの伝統色をまとめたまるで色見本の本を書棚から引っぱりだして開いたら、薄いローズ系ピンクには、ローザ・ディ・トスカーナ、ローザ・パーリド、ローザ・ベローナ、オークラ・ロッサが並んでいます イタリアのピンクはトスカーナ産のバラやワインの色なんだそう どれも素敵な色合いです♡
すっかり嬉しくなったワタシはメンテナンスについてさらに考え、三木清の哲学ノートにある「伝統論」というエッセイを思い出しました 三木清は哲学科の卒論テーマで大学4年の夏、全集を読破しました 京都学派の大家西田よりも三木の言葉がもつ独特なトーンに惹かれました
「伝統は我々の行為によって伝統となるのであり、従って伝統も我々の作るものであるということができる。創造なしに伝統なく、伝統そのものが一つの創造に属している。伝統となるものも過去において創造されたものであるのみでなく、現在における創造を通じて伝統として生きたものになるのである。」
「過去の遺物は現在における創造を通じてのみ伝統として生き得るのである。歴史の世界において真に客観的なものというのは単に客観的なものでなく、却って主観的・客観的なものである。」
「初め創造されたものが再び創造されることによって伝統の生ずるところに歴史はある。」
自宅の外壁を塗り直すのにいちいち三木清の哲学を思い出して読んでしまうなんてやっぱりワタシは変人です 三木の伝統論が好きなのです 三木流にいえば、父が好きなように暮らした家には父が作り上げたささやかな伝統があり、いまの家族メンバーが家の歴史を創造していけば家の伝統が生きてくるというわけです 父が好きだったものをただ固まったように後生大事にすることは三木流にいえば通俗の伝統主義の誤謬、わが家の伝統は生きたものにならないというわけです
あーなるほどわかってきました 三木清が大好きなのにちっとも気づきませんでした 父が亡くなったあとできるだけ家の暮らしに変化がないよう気を配ることが母のメンタルなケアにつながると思いこんでいたのです でも三木清を読めば一目瞭然、壁の色を変えることは父を忘れることではないのです いつの間にかわたしはどこかいびつなメンタルケアにさまよいこんでいたようです
なかなか嚙み砕けない哲学はすました理屈ではなく、悩み迷うとき生活のすみずみに入り込んで心と思いを支えてくれる友です 哲学はなんの役にも立たないカタブツな顔をしてどんなときも親身に聞いてくれる助っ人です 日本ではめずらしいのかもしれませんが、わたしは法学を学ぶ前に助っ人哲学を勉強してきっとよかったのだとおもっています
外壁メンテの話でした Mさんがテーブルに置いていった分厚い色見本を開きながら母に聞いてみました
「ねえ壁の色だけど、Mさんが言ってたピンクね。薄いスモーキーなピンクってありかしら?」
「どれ見せて。あらいいんじゃない? 綺麗ね」
「Mさんツートンも綺麗だって言ってたわね。ピンクのツートン、グラデーションにしたらどうかしら?」
「ピンクのグラデーション? あらそれもいいわね?」
母は色見本をのぞきこんですっかりその気になっているようです 三木の伝統論のおかげで外壁をピンクツートンに塗った家にリニューアルしそうです
そういえば母はもともと好奇心旺盛、ひょっとしたら娘のわたしより新しもの好きかもしれません 意外に思い切りよかったり、飛び込んでいく強さや潔さをもっていたりします
母のケアは母の暮らしを箱入りにすることではなさそうです 母の自由自在をさえぎるのはお門違い 父がいてもいなくても毎日一緒に新しい日を送っていけばよいわけです それはたぶん母もわたしも生きているからなんでしょうね 古い家に日ごと新しい風が吹く、それでいいのです
三木清やらイタリアの伝統色やら書棚から持ち出してあーだこーだと回り回ったあげく、あたりまえのところに落ちつけました これを哲学の回り道というのかわかりません Mさん、色見本を二つテーブルに置いて帰ったあと、まさかこんなとんでもない話を繰り広げたとは夢にも思わないことでしょう(笑)
真面目に哲学を学んでいた学生時代は、哲学者は変なひとばかりといわれると傷ついたものでした この頃は、わたしもじゅうぶん変なひとだと自認するようになりました だれかに変だといわれてもいたって平気です
母はヘンテコリンな娘をよく笑い出しもせず真顔で育ててくれたものだと思います せめて方向違いのとんちんかんなメンタルケアをしないで、母が楽しく暮らしていけるよう、こちらも楽しんでサポートしたいとおもっています
落語に狸の恩返しの噺があります たぬさんに負けてはいられません。。
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