なぜ人は絵を描き歌を歌うのか?
平時の際にはそんなことを考えないものですが、自分の中でこのような疑問が生じたので、現時点での自分の考えをまとめたいと思います。
コロナで必要とされる仕事、そうでない仕事を考えてしまう人もいるのではないでしょうか。
私は教育現場の人間として、「教育」は必要だけれども、自分は教育者として必要不可欠なのかを考えてしまいます。必要な知識が、必要な経験ができる場が提供できれば自分でなくて良いのではないか…そんな疑問と向き合っています。
そうはいってもあるタイミングでは「私」ではなく「教員」として…あるいは「医療職」として社会の必要性に応じて必要なリソースを提供するのだと思います。
前置きが長くなりました。本題です。今、LIVEや美術館が軒並み閉館しています。「密」を作ってしまうからという問題はさておき、人は何故芸術に心を奪われるのでしょうか。
TVはうんざりするので、このところずっとラジオを聴いていました。DJの方が音楽の魅力について語ります。音楽のメロディに惹かれることがあっても、歌詞やメロディに綴られたアーティストの思いを改めて気付かされ、心が癒されました。
私達が普段感じる感情や情景を、言葉とメロディを添えて提供できるのは素晴らしい才能だと感じました。
絵画も同様に。何故1枚の絵に何年もの歳月をかけて描くのか…。
東山魁夷の「唐招提寺御影堂障壁画」は作品の中に”唐招提寺を開基した鑑真和上に捧げるため、東山は日本や中国の各地を歩いてスケッチを重ね、いく度も構成を練り、生涯のすべてをかける気持ち”で描いたと言われています。
私の生活の中では「必要」「不必要」の「0」「1」思考になりがちですが、芸術世界ではそうではなく、人や自然に対する威厳や尊敬、または畏敬の念を学び取ることができます。
己の五感の細部まで研ぎ澄ませて、美しいメロディ、歌詞、絵画などを生み出しているのか…ともすれば、私自身も五感を今より少し無意識から意識化することで、自分の表現したいものが何なのかを具現化できるのではないかと思ったのでした。
人類が幾度となく疫病に脅かされてもなお、芸術が途絶えることはありませんでした。それは人類にとって「芸術」が必要不可欠な要素だったからと思います。
今一度、身近なアートに触れてみるのはいかがでしょうか。
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