希志念慮限界時の思考※閲覧注意&攻撃的
そのときは過去の自分の対人関係の至らなさや昔理不尽なパワハラを受け続けた筆舌に尽くしがたい恐怖やトラウマ等々、一気に自己嫌悪やら恐怖やらもう生きてその場に存在するだけで、思考回路ごと止めてしまいたかった。
ネットで「死ぬ方法」と検索してみる。
もう自分にはこの苦痛から解放されるのは“死”しかなかった。
希死念慮を持つ人は、積極的に「死にたい」というより、今ある苦しさから逃れるためにもがいていろいろ探したけれど、もう“死”しかない、という人も多いのではないか。
話は脱線したが、ネットの検索結果にこういうものがあった。
「(あなたは)死にたくなるほど頑張ったんですね」
最近うつ病の調子が悪く、寝込んでいた。
だからこの言葉は強力に刺さった。
私はきっと人生で一度も死ぬほど頑張ってなんてないし、頑張ったところでたかが知れているし、この痛みや苦しさがいつまで続くのかわからないし、
もう全部。全部がもういやだ。
もう終わりにしたい。こんなクソみたいな人生。
”うつ病”だなんて言って逃げて向き合ってみたところで
先も見えないし、いつまで経っても光が見えないじゃないか。
パワハラであんなくだらない人間に何年も理不尽な嫌がらせを受け続けて、その場で一生懸命自分が悪いんじゃないかと対応の仕方を考えて、対応して、それでも嫌がらせは続いて、自殺未遂に至るまで結局自分でそこから離れられなくて。
それ以外にも親には否定され続け、こんな人生自分で終わりにして何が悪い
んだ。
死ぬときに「うつ病にわたしは死にたくなるほど頑張りました」。
そんなの絶対いや。
わかった風にこの希死念慮をラベリングしやがって、と腹が立った。
※攻撃的な文章で不快にさせてしまい、また、お目汚し、大変失礼いたしました…