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心の姿勢維持と会話の困難

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ちょっと記録のために書きます。
数年前、5年くらい前、病気で認知力……認知力と言っていいのか、専門的には、どういう言葉になるのかわからないですけど、脳の機能が凄く下がってしまったときのことです。

線維筋痛症の激痛と認知力の低下が、同時に起きてきていました。
痛みによる極端な睡眠不足もあったかもしれないし、そのほかにも、いろいろな原因で異常を来していたのかもしれません。
病院に行く途中の風景が、変な形に光って歪んで見えたり、そんなこともありました。

ほかの闘病記でも書いたことがあるのですが、会話が厳しくなりました。
日本語が話せないわけではないのですが、脈絡ある話をするのが、とてもしんどい。
医者や周りの人からすると話せてると言われるのだけど、言葉をなんとか並べてただけで。
(その言葉すら出てこないとわかりやすいのかもしれないですが)

話したいことを話そうとするのだけど、書いている文字と違って、会話って消えていくんですよね。
そうすると、自分と相手の会話の内容の記憶がもたないとどうなるか。少しでも複雑なやりとりだと、脳がキャパオーバーになるし、話したいのに「伝えるための言葉の組み立て」ができない。
そこまでわかっているのに、思うそばから、消えていく。
これも前に書いたことあるけれど、一生懸命、モニターに文字を入力はできるんだけど(入力する言葉自体も出ない障害もあると思いますが)、言葉は浮かぶけど、モニターが消えていってまとまった文章にできない。

その当時、天井の照明が壊れたことがあったのですけど、交換するために業者と対話するということができないから、夜間はしばらくランタンで暮らしてました。
文章にできないだけじゃなくて、自分の心のまとまりも散っていく感じなのです。
あのときの「心の姿勢」も保つのが難しくて、ぐずぐずと勝手に自分が崩れていきそうになる感じのときのことを思い出すとぞっとするのですが、必死になってつかんでいないと心をまとめることができない感じ。じっとしているのにハンマー投げで振り回されないように踏ん張っているように、しんどい。
「自分の心」なんて普通にしてれば、まとまりがあるはずなのですが、それが踏ん張っていないと勝手に崩れていきそうな感じは、激痛よりも恐ろしくて辛かったです。

とにかく、最低限でも周りの人や医者と話せなくなっていくのは、まずい。
レコーダーに

「〇月×日 △時 ~~について話します」

と言って、「~~」という話の背骨を作って、忘れないようにしながら、背骨から延びるほかの骨、関連するいくつかの話をつなげていく練習をしていたのを思い出します。

正しいやり方かどうかはわからないけれど、ラジオを聞きとる練習と、レコーダーに向かって文章を声にすることを必死にやっていました。
ただ、回復・改善というのは、一つの薬、一人の医師、一つのリハビリ方法といったものとの因果関係の結果ではありません。友人知人、家族、体の状態、そのときに何をやっていたか何に出会ったか。いろんなことが絡みます。
背骨を起こして、よっかからないで座っている、立っているというだけでも
(背面解放座位というのですけど)これだけでも、相当認知力が変わったりすることがあって、似たようなことを、プールや自転車でもやっていたし、
何が効いたのかはわからないですが、
一例だけなので、どなたかの参考になるかはわかりませんが、記録のために書かせていただきました。

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