リハビリと学習的側面
◆リハビリと学習的側面
少し書きたい事がある。それは、脳に不具合を受けている人のリハビリの学習的側面である。
◆体の不具合
私はかなり酷い疼痛と身体的持久力の低下認知能力の低下が同時に起こった。疼痛の方は、長く立っていられない、物が持てない、座っても自分の体重で痛い、寝ていても体重で痛い。布団の重さで足首が痛いなど、かなり酷いものだった。生きているだけで苦痛だった。現在でも、いろいろ不具合があるが、かなり、いろいろな事ができるようになったが、今回は、その事ではなく、認知能力の低下について、お話したい。
◆頭が回らなければ薬を飲めばよいか
非常に辛かったのは、むしろ疼痛よりも頭が回らないことであった。ブレインフォグとか、鬱という状態であろうか。鬱というよりは、ブレインフォグと言いたい気持ちが、本人にはある。意欲はあるのだが、どうしても頭が回らない。それが体の不自由と相まって非常に困った状態だった。しかし、短時間だったら、手で持ったり、座ったり作業ができた。切腹するような覚悟で、痛みに耐えれば病院に通えたし、もっと強度な認知障害や麻痺などが無いために、福祉で救済する枠組みに入らないというようなことを役所に言われて、困ってしまった。
とにかく精神作業の要素をなんとかするために、それで、かなり強い精神科的な薬(かなり酷い不眠になったので睡眠薬も含めて)を服用した。
しかし、痛みの問題で飲んでいる強い痛み止めの薬と相まって、ふらつきや、さらに頭が回らない状態が起こり、さらに生活が回らない。
私は体質的に、そういう薬の副作用が強く出る事も理由だと思う。だから、私は、薬の使用全般に反対しているわけではなく、体質や状態によって、薬の使い方は、変えた方がいいと思うだけで、反薬のような思想があるわけではないことは、お断りしておく。
これでより状態が悪化して、認知症状態で、寝たきりになれば、救済されるのかもしれないが、それは嫌だった。それで、いろいろやった。
◆薬を飲んだら日常作業の障害が改善するか
認知能力が下がっている人に何等かの薬を飲ませたら、人間関係が良くなり社会参加できるかといったら、そうではない。
認知能力が下がるというのは、様々な側面がある。
電車の乗り換えとか、買い物とか、そういうものも認知能力だ。
私の場合は、電車の乗り換えも、「ずーっと、乗換駅のメモを電車に乗っている時に、見つめ続けないと、乗り換えができない」時期があった。
記憶障害と違って、乗り換え駅が記憶できないわけではないのだ。
そういう注意の向け方をしていないと、乗り過ごしてしまう。注意を無理やり意識して一点に向けていないと、行動の切り替え時を見失うがのだ。うっかりというより、混乱して、いろいろな所に注意がさまようので、そういうことが起きるという方が近いかもしれない。
専門家ではないので、用語の使い方を間違えていたら申し訳ないが、注意障害のようなものがあったと思う。
それから空間の把握みたいなものがダメになった。今でも、整理整頓ができなくて非常に困っているのだが、この話も複雑になるので、今回はあまり掘り下げない。
リハビリのために、血を吐くような思いをして、プールを歩くリハビリをした。そういう時に、コインロッカーにお金を入れて、着替えを預ける。それだけで、一苦労だった。
コインロッカーでは、お金が必要なので、コインを用意して、こうやって、服を着替えて、ということを頭でイメージして、工程表みたいなものが、普通の人間にはできているから、それが、問題無くやれる。ある程度の認知力があれば、これは、無意識に自動的にできるものだ。
その工程表を頭の中に作れないので、水着を出しておいて、着替えは、こういうふうに狭いロッカーの中に、こういうふうに置いたりということを頭の中で処理できないから、ロッカーに荷物を入れていても荷物がまるごと落ちてしまったり、着替え終わったあとに、小銭を慌てて、わけのわからない積み上げ方になってしまっている荷物の中から探さなければならなかったり、日常生活で様々な困難があった。シャワーを浴びずに、プールに入ろうとしてしまって、慌ててシャワーを浴びるとか、もうささいなことに関して、力づくで意識して注意を調整して、頭の中を整理しながら行動しなければならない。いつもぐったりである。
重症の脳梗塞による障害やなどが起こっているなら、リハビリ対象になるのかもしれないが、まったくケアもない。だから、脳梗塞の高次脳機能障害や発達障害の人のケアやリハビリを参考にして、我流でやってみたが、苦しくてたまらなかった。が、それも本件と少し話がずれるので、割愛する。
◆薬を飲んだら人間関係が改善するか
人間関係の問題の方が、非常に問題だった。
呂律が回らないわけではない、強度の記憶障害による「ここはどこ? 私は誰?」状態があるわけではない。
でも、話すことの脈絡の記憶が微妙にできない。
書き言葉は、自分の言った事が、目で確認できるが、会話は、自分の話した内容を記憶していなければならないし、自分が何を話してきたのか順番や構造をある程度理解していなければならない。
日本語が話せれば、人間関係を作ったり維持したりできるわけではない。
この辺も、病気になるまで、まったくわからなかった。
日本語ができると、医師と話していても、支障が無いことになってしまう。自分が何に困っているか、相手にうまく説明できないから、かなり改善してから伝えて、「そんな難しいことがあっていたのか」と驚かれたりする。
なんとか、うまく説明できたらできたで「あなたは、会話できている大丈夫。気にし過ぎです」と言われる。
◆相手との意見の調整
日本語ができるだけだと、相手と意見が違った時に、調整ができないのだ。どういうことかというと、相手が言った話の内容を構造として理解しなければならない。自分の言った事の構造も理解しなければならない。そして、どの辺が相手の意見と違うのか、どの辺だったら、歩み寄れるのか、ポイントを探して、それを探す必要があるわけだ。
そんな高度な事をしないでいいのではないか? って?
それでは、ちょっと体は動ける状態なので、家族から家事を手伝ってくれと言われたとしよう。
家族がしてほしいことが、私には全部はできない。それでも「この部分はできる」という事を見つけて伝える、という事が必要無いだろうか。
認知力や体力の低下が起きていると何が起こるかというと。
・困難が生じそうでも、まるっきり飲み込んでどんなダメージを受けることでも無理やり全部やるか、途中で投げ出す(そして、人間としての信頼を落とす)
・最初から逃げる
・激怒
激怒は、人間関係がもっと壊れる、ということはわかっていたし、そこは自制できたので、しなかったが、人と関わりながら自分ができる事を探るということができないのだ。生活改善のためには、部分的にでもいいから、できる事を誰かとやることが非常に大切なのだが、そういう人はあまり必要とされない。
自分の状態を整理していて、何ができるか始めから表明していて頼まれたことを、ちゃんとやれる。頼む方も、そういう人に頼む。当たり前のことだ。
家族であっても、何ができるか整理できなくて表明できない人に対して、手伝いを振るというのは、面倒くさい事だ。できるなら、全工程やってほしいし、不確実なことになるくらいなら、頼まない。
ゆとりがあって、発達教育的な才能のある家族なら別だろうが。子どもにならともかく、病後の大人に、それをできる家族はまれではないだろうか。
そうなってしまうと、人と関わるのを諦めて、痛い痛いの時間を過ごし、もっと日常生活や人間関係のスキル、認知能力が落ちていく。そういう時間を過ごすのも物凄く怖かった。
そして、移動や姿勢の維持、座位、作業の不安定が困難のおまけつきである。デイサービスなどがあったとして(精神科のデイケアというのとも、何か違うし、痛くて座っていられないので難しかった)、何しろ人と関われない。
◆人と関わるための基礎訓練
共通の関心がある事があるから、人は誰かと何かをやれる。
お金があったら、共通の話題が無くても、時間を一緒に過ごして模索することをやってくれる人を雇えるのだろうが、そんなお金は無い。
何かを自分で見つけるしかない。
まず、ICレコーダーに自分の話を話す事から始めた。自分が何を話していたかわからなくならないための訓練だ。初期の頃は、話していて、話のテーマ、背骨の部分が話している途中で、わからなくなる傾向があるのがわかった。
自分の言ってる事が、自分の話していることのテーマが途中でわからなくなったら会話するどころではない。
そして、理解のある友人と電話で、話すリハビリの手伝いをしてもらった。もちろん辛い気持ちを理解してもらうという意味も大きいのだが、自分の話を伝えたり、相手の話を理解したり、キャッチボールする間の感覚をつかんだり、意見が違う場合は、どう伝えたらいいのかとか、いろんな訓練になっていたような気がする。
◆人と関わるための触媒
聴覚過敏も酷かったのだが、それを改善するために、ラジオを使った。その話は、以前話したので、それも詳細は割愛する。
重要だったのは、ラジオを聞く事ができるようになって、病気と苦しさ以外の話題を持てたこと、投稿ということができたこと。ラジオ愛好家と、ネットで繋がることができたこと。
専門的にケアしてくれる人がいたとしても(私はいなかったが)、病気の専門家であって、日常生活や人間関係をどう作っていったらいいか、と言う事を支援してくれる人はいない。また、こういうことは個人差が大き過ぎるし、支援しようとしても、公的な仕組みを作るのは難しいのかもしれない。
ラジオで共通に話題にできることが増え、人間関係が増えた。自分の状態を、どの程度理解してもらえたかは、ともかく、かなり、自分の気持ちを通じ合う事ができる人が、できたということだ。これは、とても大きかった。
それと、声は出せたが肺活量が悪くなっていたのと、微妙に呂律が回らない部分もあったので、リハビリのために朗読も初めていた。
これはかなり良かった。コミュニケーションと、いろいろな状況、人の心理というものを、追体験し、声を演じているということでもある。
それで、ある程度できるようになってきたとき、かなり無謀だが、「死んだらしまいだ。ここで躊躇している場合でもない」と思って、ネット上で、朗読や声劇をやっている人が集まっている所に行って、怪談を朗読する所から始めた。
病気でヘロヘロになっているのに、明るい話はできない。変なぞっとする話は、下手であろうが、読んだり演じたりすることはできるかもしれないと思った。
小泉八雲の怪談が好きだったこともあるが……
結果的には、うまくいった。物凄く幸運なことに、そこにいた人たちが、とても親切だったのだ。これには、とても感謝している。
まったくの素人なので、いろいろ質問した。頭も回ってないので、いろいろ失礼な事も多かったと思う。それなのに、よくわからん新人に対して、いろいろ教えてくださる方が多かったし、邪険にされることもなかった。
ネット上の声劇というのは、登場人物に応じて、台詞を演じた録音を持ち寄り、編集して組み合わせて、一つの作品にするものだ。
話し合って、割り振りをして、期限を設けて、調整をし、キャラの演じ方の方向性がちょっと違う場合は、話し合って、また、演じ方を変えて録音しなおす。
四角四面ではダメで、相手の力量とか個性とか、時間の都合を考えて、一緒に何かを作っていくのだ。
だんだん、それができるようになってきた。今でも未熟で、ご迷惑をかけていることは多いかもしれないが。
これが、自分がやってきたことである。記録のために残したい。
ネット上だからできたこで、それでも、長時間座っていることができない日がたびたびある。体がおかしくて、寝ていなければならない時間が不定期に襲ってくる。
だから、残念なことだが、仕事ができるようになる見込みは、今の所は無い。
来るのは、非常に怪しいスピリチュアルと称する治療者、健康食品のセールス、投資や「スマホ一台でさくっと儲けけられます」という勧誘だけである。
◆通じ合えた思い出と冥途の土産
と、いったん、ここで、この文章を書き終えたのだが、大事なことを付け食わるのを忘れていた。
人間の最期ということについて。
人間は、生活が安定して、いろいろな人に囲まれて、幸福な最期を迎えることもある。
しかし、残念なことだが、思い通りにならなくて、病気や事故で死んだり、凄く残念な事だが生活が立ちゆかなくなったり、孤独なうちに最後を迎えたりする場合もある。
「助けて」と言えばいいのに、と思う人も多いかもしれないが、様々な事情で、それができない人もいるのだ。
それは、個人の努力を超えたものだ。
それでも、通じ合えた思い出があれば、怨霊のような死に方ではなくなる気がする。
幸運にも、そういう経験を自分が得られたこは、本当に、ありがたいことだと思う。