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パターソン

ジム・ジャームッシュという映画監督の作品を、今から約6年前、まだ専門学生の頃にはじめて観た。
「ナイト・オン・ザ・プラネット」という作品が特にサブカルチャーとして若者にも有名だが、わたしが観たのは「パターソン」という一本だった。

ニュージャージー州にあるパターソンに住む、街と同じ名前を持つパターソンという一人のバス運転手が、活発な妻と一匹の犬と共に生活を営んでいるというのが簡単なあらすじである。

パターソンはいつも同じ時間に起き、まだ眠る妻にキスをしてシリアルを食べてから仕事に向かう。書いている詩のことを考えながらいつものルートでバスを運転し、夜には犬のマーヴィンの散歩をしていつものバーに寄る。そうして、妻の眠るベッドへと向かい眠るのだ。

大きなトラブルや話の転換は無く、それだけの繰り返しが1週間続くのだが、わたしにとってこれが本当に心地よかった。

その頃、わたしはひどくこの世界に疲れていて、生きていることに希望などあるのだろうか、こんな日々を生きていてなんになるのだろうかと常に考えて過ごしていた。

ただ、パターソンが当たり前のようにいつもと同じ日々を過ごして、そのなかにある少しだけいつもと違うこと、それは大変なことも嬉しいことも含めて、生きていて面白いと思うことを見つけている。そんな同じようですこし異なる日々がほんとうに美しく思えた。

その頃にはまだ阿佐ヶ谷に「ユジク阿佐ヶ谷」というミニシアターがあり、学校終わりに高田馬場から向かうにはそう遠くない距離だった。
ちいさな映画館らしく飲み物や食べ物を持ち込んでもよくて、わたしはいつも缶コーヒーを持ち込んでいた。

今でも覚えているその日。
缶コーヒーとカウンターで売っていたドーナツをひとつ買って、ふと目に止まった「パターソン」をいちばん前の席で観た。わたしの他には数人しかいなくて、そこはわたしだけのシアタールームのようだった。

存在するものは映画とわたしだけ。わたしにとっては何よりも得難い時間だった。あの頃、わたしの生きられる世界は映画の中にだけあったのだ。

その後も学校終わりに数回見に行き、見に行くたびに違う発見があった。同じような日々のなかに少し違うものを見つけるかのように。毎回違うものが目に止まった。

わたしはそんなにできた人間ではないから、仕事でミスをすれば落ち込んでしまって、転がり落ちるようにミスを繰り返してしまうし、人の態度に腹を立てたら話したくなくなったりもする。

そんなことを思うたび、パターソンのことを思い出す。日々は悪いことがあるとそればかり目に止まってしまうけれど、いつもと同じ日々にこそ美しいきらめきがあるのだ。

朝にいつものグラノーラを食べる。部屋をいつもの順番で掃除し、数日間のうちで着たものをまとめて洗う。休みの日には好きな人たちと会い、他愛もない話をしながら一杯のお酒を飲む。そんな人生の何でもない幸福を教えてくれたのがパターソンだった。

これからどれだけ悪いことが起こっても、かならずいつもの日々は帰ってくる。だから大丈夫だと思えることが、わたしにとっては何よりの救いなのだ。

今日もあたらしいノートに詩を書く。
それはこの美しさを忘れないための記憶。
いつか暗闇の中のわたしを照らすための光。

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