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【日記・エッセイ】語ることで癒されて 2024年8月11日 日曜

こんにちは。長尾早苗です。

いろいろ、重なってしまって。

悲しいとかやりきれないとかそういうこと以上に、わたしは弱っているんだなあと思います。

大きな地震・豪雨・身近な人がいなくなること・家族を失うこと。

大きくぽっかり穴が開いた状態なのですが、今回は「喪失」と「癒し」について、わたしが勉強してきたことを語りたいと思います。


セルフ・セラピーとしての「語り」

今わたしがnoteを書いたりSNSで発信するのに、いろいろな意見があると思うし、わたしとしてもどうしてこんなに書いているのかわかりません。

書くこと・語ることによってわたしの何かが溶け始めるというか、わたしの何かが変わる気がするんです。

昨日は母方の祖母の5年祭でした。
母方の祖母がなくなったときも、わたしは詩誌ハルハトラムに詩を提出していました。

現代詩の会のみなさんには、それ以来ずっとご縁があり、5年かあ……と思いつつ、今は30代になって、父方の祖母と愛犬をなくしました。

父もいろいろ重なってしまって参っているようですが、ここは家族のがんばりどころ! と思っています。

セルフ・セラピーというのは、文字通り自分で自分を癒すことです。
多く文学理論で語られるのは村上春樹の『ノルウェイの森』、吉本ばななの『キッチン』が有名だと思います。

何もなくしてなかったくせに。
大学生の頃、それで卒業論文を書きました。どうしてあの時今の気持ちがわかったのかな……

抱えきれないほどの喪失・そして共感

わたしもパートナーも、大きく喪失を抱きながら生きています。

だからこそ結婚して生活を共にしていることもありますが、わたしたちにとって「語る」もしくは「歌う」ことは非常に重要でした。

わたしは「語る」ことを選んだし、彼は「歌う」ことを選んだ。
どちらもその思い思いのテーマで作品を作っています。

抱えきれないほどの喪失を持った時、ひとを救うのは文化だと思います。
わたしはそれで、本当に心を回復してきました。

お互いのどうしようにもない孤独や喪失に引き寄せられて、というのはロマンチストすぎるのかもしれませんが、わたしたちはそれぞれに自分の作品を創作することで少しずつ、回復していきましたし、回復していくのだと思います。

大丈夫には人が三人いること

心細くなってしまうことがあります。

今まで大丈夫だったものが、大丈夫と思えなくなった時。
仕事の凡ミス、別に大したことでなくても大したことのように感じてしまう時。

父は「なんとかなる、大丈夫」といつも歯をくいしばって乗り越えてきた人でした。
そして、それは正しかったのだと今なら思えます。

大丈夫という時には人が三人いると父は言っていました。
父らしいなと思います。
決して一人でこの世に生まれ、生きていくわけではない。
少なくとも三人以上が助け合い、この世の中はまわっていく。

今日食べたごはんも、作り手がたくさんいる。
今日着る服も、誰かの作品。

今まで気づかなかった日常を取り巻く多くのものが、ひとの手によってつくられていました。

大きな喪失は、長く生きれば生きるほど、たくさんあります。
それは仕方のないことです。
魂は成長したいと本質的に願うもので、喪失によって成長することを選択した魂は、きっとわたしの中にもあるのだと思っています。

読んでくださっているみなさまがいるんだ。
詩だけではなくわたしの語りにまで、聞き手がいること、語り手としてわたしが生きてあること。

今夜、葬儀が行われます。
色々許せなかったけれど、祖母はわたしの知らない少女だったころの祖母もきっといますし、いなくなってしまった叔父さんの過去も、祖父の過去も、きっとわたしたちが受け継いでいくのだろうなと思います。

悲しいと思っていい。
泣きたいときは泣いていていい。

それでも、明日のためにごはんを食べる。

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長尾早苗
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