【Podcast書く人の気まぐれラヂオ】#37 荒地派スペシャル!
こんにちは。長尾早苗です。
今回配信したPodcast #37では、「荒地派」と呼ばれる詩人たちを紹介しました。
かなり古い現代詩文庫のものが多かったので、カバーアートを見てびっくりされた方もいるかもしれませんね。(特に黒田三郎はカバー入りでした)
それでは、配信の音源を聞きながらでも大丈夫ですので、荒地派について長尾が学びなおしたことをアップしていこうと思います。
◆荒地派とは?
詩誌「荒地」について
まず、「荒地」について定義してみましょう。ブリタニカ国際大百科事典の記述にこうあります。
今回は特集しなかった北村太郎
北村太郎は荒地派の中でも言及される機会が多かったのですが、荒地派の中でもいろいろと詩人同士のエピソードがあり、主要な人物としてわたしが真っ先に挙げた5人には入りませんでした。一説では田村隆一の妻との不倫関係も言及されており、わたしとしてはそういった詩人をあえて取り上げたくなかった思いもあります。ドラマとしては面白いので、『荒地の恋』(原作・ねじめ正一)を見てみるのも面白いかなと思います。
◆鮎川信夫
鮎川信夫もまた、戦地で戦争を体験した人でした。彼がモチーフにしているのは「父」と呼ばれる絶対的な大きな存在であり、わたしはクリスチャンではないのですがミッション系の学校に通っていたため、聖書の知識から彼が幾度となく聖書を引用していたのではないかという見解で読んでみるとすっと腑に落ちる表現が多々あります。(もちろん戦時中は『聖書』は禁書でした)
戦友とされる「M」について、そして失ってきたいのちに対して、鮎川信夫は懺悔します。「神」と書いて(こころ)と読ませる詩があります。
平易なことばではありませんが、彼を現代詩に駆り立てたものや詩作に走らせたものが「詩誌」であったり「荒地」であったりしたのでしょう。
放送では「深いふかい眠り」を朗読しています。
◆北園克衛
北園克衛が魅せられた「の」とは何なのか、ずっと考えています。最初はモダニズムのように実験的な詩作が繰り返されていきますが、そののち北園克衛が手にしたのが改行の多い「の」という助詞で結ばれた単語と単語の行間の崩壊でした。
よい詩にはいつも行間と行間の崩壊があります。そこに平易な文章はほとんどなく、わたしとしてはある種の「連想ゲーム」のようなかたちで詩を作っているのではないかと思っています。
放送では「BLUE」を朗読しています。
◆黒田三郎
荒地派の詩人たちの中でも、特に気になっていたのが黒田三郎です。
彼は戦地に赴き、そこで敗戦後に帰ってきました。
彼が戦中・そして敗戦を知らされて作ったと思われる「お金がなくて」は非常にこちらにも考えさせられることが多く、またそのあとに出された奥様と思われる女性へ書いた詩集『ひとりの女に』、娘さんとの日々を描いた『小さなユリと』は有名かもしれません。
お父さんをやって、サラリーマンとして生活し、それでも詩を書く。
あんまり今と変わらないかもしれないけれど、それでも黒田三郎が自分たちで築き上げた「家族」というものから詩想を得たり、何らかのかたちで彼が「家族」に救われていたのも事実かと思います。
ひとを人間として見たい。そう思う黒田三郎の詩は、とてもやさしくてどうしようもない「オトーチャマ」の詩でもあります。
今回はわたしが最も美しいと思う恋愛詩「僕はまるでちがって」を朗読しています。
◆田村隆一
詩誌「荒地」の責任編集者だった田村隆一。彼が集めた詩人たちはみな、何かしらのかたちで戦争について思いを持っていたようです。そして田村隆一が呼びかけたのが全員20代という若さ。若さゆえに血の気が多いというか、みんなが主張したいことが(特に田村隆一は)「圧」をもって詩から伝わってきます。
田村隆一の詩の特徴でもあることば「われわれ」ですが、あまり使うひとが少ないようにも思うし、この時代だからこそこのことばを使うことができたのではと思います。現実を内的な世界からひっかき、爪痕を残していく。それは、荒地派の同人みなが抱えていた「明日」「未来」へ対する思いだったのかもしれません。
今回放送では「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」で有名な「帰途」を朗読しています。
◆西脇順三郎
文学の用語の中に、「インターテクスト」というものがあります。
ざっくり言ってしまえば「下敷き」とでも呼べるでしょうか。詩を書くということは至高の芸術であると西脇順三郎の詩を読んで思いました。
何冊もの本を読み、そして詩人そのものが生活していくこと。机の前に張り付いていても詩は書けます。しかし、膨大な知識は書物だけではどうしようにもなくて、西脇順三郎はインターテクストを自分の詩に取り入れる際、どのようなことを気をつけていたのだろうと考えています。
詩が芸術へと昇華するとき、その短さゆえに詩人はある種の混乱を自身のうちに招きます。その脳髄とのたたかいがあればあるからこそ、わたしたちは「書く」ということに至上のよろこびを見出していく。そんな気がしてなりません。
放送では「天気」という詩を朗読しています。
◆終わりに
久しぶりに、大学のレポートのようなものを作ってみました。
わたしの独学で学ぶことも大切な記録のため、読んでもらうという形でわたしの勉強のモチベーションになるかなと思います。
今まで取り上げてきた詩人たちは、今をときめく詩人たちでした。
しかし今回昭和初期を振り返ってみると、ことばの使い方が全然違うんです。今は今でいいところはあるけれど、昭和初期の語り伝えたい詩人を今回集めました。
次回は海外詩を特集していきます。お楽しみに。