友人から性善説すぎるとコメントもらった話
(この記事は1,000文字、読み時間1分30秒です)
「おかのくんは、性善説すぎるんだよ」
ごはん食べながら、友人からもらった言葉です。
・noteのサポート
・クラウドファンディング
・N国のYouTube
・発展途上国支援
・赤い羽根共同募金
etc
日頃から、こういったところに支援したお話をしてるので、友人が「騙されない?大丈夫?」と心配してくれたようです(ありがたい)
ここ数年、お金を通じて支援することが多くなってきた自覚はある。
騙されないか?という質問には「あんまり考えたことない」ってのが答え。
騙されるって思う理由は
「何か見返りを期待していて、それが実行されないから」
と思う。
私の場合、何かしら「応援したい」から支援するだけで、何か見返りが欲しくてやっているわけではない。だから騙されるという概念がない。
ついでに言うと、お金は「貸さない」と決めている。理由は、お金を貸すと返してもらう必要があるので、返ってこなかったときに、その人を嫌いになる可能性があるから。これはリスク。だから、貸さないで、あげることにしている。
あげたものは返ってこなくて良いし、相手が悪いと思って返して来たら儲けもの。その人への信用も上がる。
もちろん私はお金持ちではないので、あげても問題ない範囲で渡している(とはいえ、そんなに頻度ないですよ)
逆に、お金を借りることもない。最初から「ちょうだい♪」と言っている。
だって返すの忘れる可能性があるから・・・
コーヒー飲むとき、電子マネー使えないとき、飲み会のとき等で、ちょっと現金足りない場合は、素直におごってもらいます。
やっぱり性善説が良い。
だって、世の中が、性善説で動いたら、もっとなめらかな人間関係ができるじゃん。
ビジネスにおいてサービス設計するときもそうだけど、盗難や詐欺等、何かの問題が発生したときのために、バッファを持たせて価格設定する。そりゃ価格が上がります。
少人数の悪い人のために、大人数の良い人がコストを負担する構造。
これってもったいないと思う。
悪い人いなくなったら、価格も安くなるし、裏切られない分、みんな幸せになる。
そういう意味でも、性善説の方が平和で、楽しく生きられる気がするのです。
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まとめ
・騙されたと思うのは、見返りを期待したことが、実行されないから
・お金は貸さない。なくなっても良い範囲であげる
・性悪説よりも、性善説の方が楽しく生きられる