【映画感想】『エンパイア・オブ・ライト』
あらすじ
1980年代のイギリス・ケント州マーゲイトの映画館エンパイア・シネマに勤務するヒラリーは、双極性障害を患い、さらには上司のエリスと不倫関係にあった。そんなある日、映画館に新人スタッフとして黒人青年のスティーブンが現れる。建築家の夢を諦めてやってきたスティーブンと、自身の人生に鬱屈とした感情を抱いていたヒラリーは互いに惹かれ合い始める。(2023年公開、監督:サム・メンデス)
評価
★★★☆☆ 3.6点
予告編
感想
女性として男性から搾取され続ける人生を歩んできたヒラリーと、黒人として白人たちから迫害される人生を歩んできたスティーブン。2人の恋とその終わりを通して、それぞれが人生の新しいステージへ踏み出していく姿を描いている。
互いに社会から虐げられてきた境遇がゆえに惹かれ合っていくものの、年齢差、人種差、不倫関係、人種差別といった様々な問題が、ヒラリーとスティーブンの足元の至るところに転がっており、美しさの裏に常に不穏さがつきまとうヒリヒリとした作品となっている。
成長や再起といった大仰なものではなく、もっとミニマムな、残酷な社会に押しつぶされそうになっていた者たちが、自分の人生に少しの光明を見出すまでというような、小さな心の動きを描いた作品であるため、派手さには欠けるが、2人の心の動きがが繊細で細やかに描き出されている。
本作の白眉は映像のリッチさと、そこから醸し出される作品全体の上品で静謐でそれでいて寂寥感のある空気感であろう。エンパイア・シネマに早朝出勤するヒラリーを劇場内部から遠景で撮ったファーストカットからすでに素晴らしく、ポップコーン売り場や上階の使われていない古びたロビーなどのセットの完成度やカット割りも実に雰囲気があるのだが、なかでも、終盤のヒラリーが劇場で映画を鑑賞するシーンの完成度は飛び抜けている。
映写技師ノーマンの手によって、映写機にフィルムが装填され、光源となるランプが灯され、映像がスクリーンに映し出されるまでの一連のシークエンスが実にロマンティックで美しく描き出されており、映写機からの光で映写室のほこりがキラキラと輝くカットは映画好きであれば高揚感を感じずにはいられないだろう。
長年劇場に勤務していながら、一度も上映作品を観たことがなかったヒラリーが初めて映画を鑑賞するこのシーンは、幼い頃から男性たちに虐げられ、目を伏せて生きてきた彼女が、スティーブンとの交流を経て、周囲の世界を前向きに見つめることができるようになったことを象徴する非常に重要なシーンだが、このヒラリーの心のうちの小さな感動が前述の細々とした映写機のシークエンスと、演じるオリヴィア・コールマンの最小限の表情の演技で、生き生きと描き出されていて実に感動的だ。
主人公のヒラリーは双極性障害という設定のため、心に大きな激情と深い失意を抱えたキャラクターなのだが、主演のオリヴィア・コールマンがこの感情の揺れを実に巧みに演じており、物語に説得力を与えている。
また、本作は脇を固める俳優たちも実に良く、特に映写技師のノーマンを演じるトビー・ジョーンズと同僚スタッフのニールを演じるトム・ブルックの演技が非常に良い。本作は社会の根底にある差別構造を正面から描いた作品なのだが、その中に人間の良心という正の側面も描きこむことで、苦しいながらも暖かみもある作品となっている。この良心の部分を前述のノーマンとニールが担っているのだが、演じる2人の俳優の存在感が作品に綺麗事ではない人の温かみをしっかりと添えている。
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