『ビバリウム』感想 筋の通った理不尽
3月12日から公開のロルカン・フィネガン監督の「ビバリウム」を見た。
【あらすじ】 新居を探す若いカップルのジェマとトムは、不動産業者マーティンに連れられて新興住宅地「ヨンダー」に訪れる。二人は「9番」と番号の振られた家を紹介され内見するが、その最中、マーティンは突然姿を消してしまう。困ったジェマとトムの二人はヨンダーを立ち去ろうとするが、どのルートを通っても9番の家に戻ってきてしまい、そのまま二人はヨンダーから脱出できなくなってしまう。仕方なく2人は、家の前の道路に定期的に現れる加工食品と生活必需品が入った箱を頼りに、9番の家で生活を始める。さらには「育てれば解放される」と書かれた箱に入った赤ん坊が二人のもとへ届き、二人はその赤ん坊を育て始めるが...。
ジェマとトムのもとに送られてきた赤ん坊は98日後には7歳児ほどの大きさに驚異的なスピードで成長し、物語の大半はジェマとトム、そして、この少年の3人で展開していく。この少年、朝になると二人の寝室に入ってきて、二人の前日の会話をひたすら復唱して無理やり叩き起こし、食事の時間になると食卓に食事が用意されるまで金切り声で絶叫し続け、昼間は犬の真似をしながら延々と居間を走り回り、夜はテレビを大音量で流し続ける。そして、極めつけはジェマとトムの二人にどこまでもついてきて、じっと凝視し続けるのだ。二人はこの少年に振り回され、翻弄され、心身がボロボロになっていく。
例えば、飛行機で騒いでいる小さな子どもがいて、仕方ないと思いつつも若干イラっとした、というような経験は我々誰しもが経験したことがあると思うが、本作における少年には、このよその子どもに対して感じる「ちょっとイヤだな」という感覚がこれでもかと詰め込まれており、本当に最高に"最悪"だ。間違いなく、この少年が本作のMVPであろう。それでいて、この少年をただのクソガキとは違う印象にしているのが、この少年の妙に低い声である。容姿は明らかに6-7歳の子どもといった感じで、言動も子どもっぽいものなのだが、声は変声期くらいの低さなため、観客に「こいつ、人間じゃない」という感情を抱かせ、あまり邪険にはできないことを本能的に理解させる。子役の子の地声が低いのか、声だけ別の役者が吹き替えているのか定かではないが、非常に絶妙だ。
物語のクライマックスにて、ジェマはヨンダーの正体に近づいていくのだが、この種明かしの塩梅も本作は非常によい。本作の核心に極力触れないように説明するために、1998年公開の『リング』を例に説明したい。『リング』は「見た者は1週間後に必ず死ぬ」という呪いのビデオの謎を解明していく話だが、主人公だけが1週間の期限が来ても死なない理由が、「呪いのビデオをダビングして他の人に見せれば死なない」というもう一つのルールがあったからであるということがラストで明らかになる。この映画が面白くしているのは、この、「2番目のルールは明らかにするけれども、それ以上は踏み込まない」という絶妙なバランス感覚である。この2番目のルールが明らかにされないまま終わると、結局、理由は分からないまま主人公だけ助かったという話になってしまい、なんでもありじゃん、という感想になってしまう。とはいえ、ではなぜ、呪いのビデオをダビングして他の人に見せると死ななくなるのか、というメカニズムの話を深追いしてしまうと、話が荒唐無稽な方向に進んでしまい、観る側としては白けてしまう。この、「ルールは説明するが、メカニズムまでは説明しない」というバランスがホラー映画やスリラー映画では大事だと思うのだが、その点に関して、本作『ビバリウム』は満点である。ぜひ、「うわ...、そういうことかよ....」と嫌な気持ちで劇場を後にしてもらいたい。
カッコウは、ホオジロやモズの巣に自分の卵を産み付け、孵化したヒナは巣の中の他の卵やヒナを巣から蹴落として、親鳥からの餌を独占し成長する。これは「托卵」と呼ばれる習性で、カッコウは托卵を行う鳥として有名だ。本作のファーストカットがカッコウのヒナが他の卵やヒナを巣から蹴落とし、最終的には親鳥よりも大きな体になっても餌をせがみ続ける光景なのは、本作における謎の少年を若いカップルが無理やり育てさせられるという展開を暗示するものだ。さらに、主人公のジェナとトムが自発的にとっていた行動すらも、本当に2人の本心からの行動だったのかが揺らぐ終盤の展開は、個人的にはハリガネムシやゴキブリバチを想起させるものである。総じてこれらの展開により、鑑賞後に抱く感情としては、理不尽さへの怒りより、運命の歯車が狂ってしまったやるせなさが勝ち、この点が本作を独特なものにしている。
全く同じ規格の緑色の家が延々と続くヨンダーの光景は、CGっぽい作り物感と本物の家の実在感のちょうど真ん中を狙った感じの気味悪い雰囲気になっており秀逸だ。また、ヨンダーのもう一つの特徴が空に均一に広がる雲である。この雲も質感は本物の雲にしか見えないが、全く同じ形の雲が空に均一に広がっているという気味の悪さが、ヨンダーの異界感を高めている。さらに、この雲に関しては、途中のある展開を境に形が変わっていくという細かい演出がなされているのだが、これも少年が特別な存在であることをさりげなく示唆しており面白い。
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