【映画感想】『西部戦線異状なし(2022)』

あらすじ

 1917年、第一次世界大戦下のドイツ。青年パウル・ボイマーは学友らとドイツ軍への入隊を志願し、西部戦線へと送られる。祖国のため意気揚々と戦地を訪れたパウルたちであったが、塹壕戦の現実を目の当たりにし、戦場の恐怖に戦慄することとなる。(2022年配信、監督:エドワード・ベルガー)


評価

★★★☆☆ 3.8点


予告編


感想

第一次世界大戦の塹壕戦を舞台に、戦争の恐怖、非情さ、そして、無意味さを描く本作。主人公のパウルの目を通して、何人もの友人や戦友の戦地での死に様が描かれるが、誰一人としてその死がドラマチックに描かれることはなく、皆、突然にあっけなく命を落としていく。そこには勇ましい死、雄々しい死などはない。何のためにこの戦地で恐怖に襲われながら死んでいかなければならないのか、皆、訳も分からぬままに死んでいく。気持ちの良いドラマ性にようなものを徹底的に削ぎ落とし、ただただドライに無慈悲に死を描く本作の姿勢に強い反戦の意志を感じる。


本作の舞台となる塹壕戦は、広大なロケでの撮影と精緻なセットにより、臨場感とリアリティのある映像になっており、容赦のない爆撃描写や死体描写により戦場での恐怖が強く印象付けられるものとなっている。さらに、本作ではこの死と隣り合わせの塹壕戦の恐怖を何度も何度も描くことで、激しい恐怖のその先にあるとてつもない疲労感とどうしようもない絶望感を描くことにも成功している。最前線で次々と仲間が死んでいく恐怖と、駐屯地での現在と将来への深い絶望。これを行ったり来たりすることによって、劇中のパウロと同様に観ている我々も恐怖が徐々に深く暗い虚無感へと変遷していく様を追体験することとなる。この虚無感の追体験を通して、本作は戦争というものの本質的な無意味さを非常に強度の高いメッセージとして送り出している。

また、本作は、実際に戦場に立つパウロの物語と並行して、連合国との休戦協議に赴くドイツ政府高官たちを登場させることで、政府目線と国民目線の両方から戦争を描いている。これがまた非常に効果的で、これによって大局的な視点を作品に与えつつ、そこから国民目線に話を揺り戻すことによって、そういった国家レベルの都合を押し通してまで、国民を死なせることになんの意味があるのかという疑念に、観客が自然と到達するようにプロットが周到に敷かれている。


本作は主人公のパウルを演じる主演のフェリックス・カマラーの体当たりの演技が作品に強い悲壮感を与えており、塹壕での激戦によって血と泥で真っ黒になった顔の奥の瞳が戦争の恐怖と絶望を色濃く映し出している。本作は戦場で敵陣に向かってひたすら走るシーンであったり、敵の戦車から死にものぐるいで逃げるシーンであったりと、セリフではなく身体表現が求められるシーンが多いのだが、こういったシーンでの、フェリックス・カマラーの演技の説得力が非常に高く、恐怖と諦めと疲労がないまぜになった真っ暗な絶望感が、戦場で藻掻く彼の演技からヒシヒシと滲み出ている。

特に印象的なのは、終盤、休戦協定が発行される直前にフリードリヒ将軍からフランス軍への攻撃命令をドイツ軍兵士たちが受けるシーン。憤ったり、困惑したりする兵士たちの中、完全に落胆と諦観の境地に達したパウルの心境を、フェリックスはその目つきだけで表現している。非常に映画的な形で、反戦のメッセージをグッと観客の喉元に突きつける名シーンと言えるだろう。

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