【映画感想】『TAR/ター』 ★★★☆☆ 3.8点

あらすじ

 ベルリン・フィル初の女性首席指揮者リディア・ターは、マーラーの交響曲第5番のライブレコーディングを控えていた。その圧倒的な才能によって人生の絶頂にある彼女は、新曲の製作と並行しながら、身を削ってライブレコーディングの準備を進めていく。そんな中、リディアがかつて指導した若い女性音楽家のクリスタが自殺したとの知らせが入る。リディアが自身の地位を利用して、クリスタにセクシャルハラスメントを働いていたことを知った彼女の両親は、リディアに対して訴訟を起こす準備を開始する。このトラブルをきっかけに、順風満帆だったリディアの人生は転落を始める。(監督:トッド・フィリップス)


評価

★★★☆☆ 3.8点


予告編


感想

 ある女性指揮者の栄光と転落を描く本作。ベルリン・フィル、妻と娘と暮らす自宅、作業場を兼ねるアパート、取材など、ギチギチに詰め込まれた彼女の仕事風景をテンポよく見せることにより、彼女の多才ぶり、有能さを目まぐるしいスピードで見せていく。

 順風満帆な前半では、この彼女の仕事ぶりが頼もしく心地よく目に映る一方で、スキャンダルと過密スケジュールによりリディアの精神が摩耗していくにつれ、この畳み掛けるような仕事描写が息の詰まる圧迫感へと変わっていく。さながら、観る疲労感と言ったところだ。

 作中、分かりやすい大きなトラブルが起きる場面はほとんどないのだが、この疲労感の細かな描写の蓄積によって、ゆっくりじっくりとリディアの精神が崩れていく様が描かれていく。この積み重ねが実に丹念なため、終盤の展開には大きな納得感を伴いながらも、一方で観客は「いつの間にこんな酷い状態に陥っていたんだ……」と愕然とすることとなる。



 本作は、類まれなる才能を持ったリディア・ターという一人の女性の人となりについて、その描写を全編に渡って隙間なく敷き詰めたような作品であるがゆえに、その人物描写に説得力があるかどうかに作品の成功が委ねられている。

 本作でリディアを演じたケイト・ブランシェットはこの役割を完璧に成し遂げており、絶対的な自分への自信とそれに見合うだけの才能を持った一人の天才指揮者を見事に演じきっている。

 本作はベルリン・フィルを舞台としているだけあって、オーケストラの指導シーンが要所で描かれるが、そこでタクトを振るうリディアのカリスマ性の説得力たるや。序盤で多用される講演や講義でのリディアの演説の長回しシーンの説得力たるや。どこをとっても実在感のある天才として、リディアがそこに存在している。アカデミー賞主演女優賞ノミネートも納得の演技である。



 音楽を扱った作品であるがゆえに、本作は音の演出についてもこだわりが見られ、おそらくはBGMは一切使われていない。本作はオーケストラの演奏シーンを除けば、自然音のみで作品が進行していくのだが、この音がリディアの精神の摩耗を効果的に演出している。

 特に本編中で繰り返し描写される、就寝中にリディアが家の中のわずかな物音で目を覚ますシーンが印象的だ。夜中に聞こえるか聞こえないか程度の音でリディアは目を覚まし、その都度、その音がどこから聞こえてくるのかを起き上がって探しに行く。音の出処がはっきりする時もあれば、結局分からずに次のカットへ飛ぶこともあり、そもそも気のせいだったのかもはっきりしない。リディアが床についているカットは特に意図的に同じ構図が繰り返されており、繰り返されるごとに本当に音がしていたのかよく分からなくなっていく。この細かな繰り返しにより、リディアの精神の摩耗が控えめに、それでいて効果的に描かれていく。



 ところで、本作において一部で物議を醸しているラストのパートだが、個人的には若干蛇足に感じている。ラストパートではキャリアから完全に転落してしまったリディアの再起を描いているが、それを描くにはさすがに若干尺不足であるように思う。

 さらに言えば、そもそものラストで描かれるコンサートイベント自体が、発展途上国的な周囲の街の雰囲気と、やたら都会的なイベント内容が無理やり抱き合わされていて、「そこでそんな感じのイベントあるか……?」という違和感のノイズが強く、話が入ってこない。

 セクシャルハラスメントやパワーハラスメントへの描写は繊細なのに、やっぱりアジアに対しての認識は雑なのだなと感じて、若干冷めてしまったのが正直なところだったので、その手前で終わっておけばと思わざるを得ない。

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