【映画感想】『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー ★★★☆☆ 3.6点

あらすじ

 ニューヨークで配管工を営む兄弟マリオとルイージは、ある日、不思議な土管に吸い込まれ、異世界へと飛ばされてしまう。土管の中の不思議な空間で離れ離れになってしまった二人は、兄のマリオはキノコのような姿をした住人たちが暮らす「キノコ王国」へ、弟のルイージは怪物たちの巣窟「ダーク・ワールド」へと、それぞれ別の地へと迷い込んでしまう。時を同じくして、キノコ王国はダーク・ワールドの支配者・大魔王クッパによる侵略の危機にさらされていた。キノコ王国唯一の人間にして王女のピーチと出会ったマリオは、キノコ王国を救うため、そして、クッパに囚われたルイージを助けるため、ともにクッパとの戦いに挑む。(監督:アーロン・ホーバス、マイケル・ジェレニック)


評価

★★★☆☆ 3.6点


予告編


感想

 大人気ゲーム「スーパーマリオブラザーズ」シリーズを原作とする本作。おなじみのキャラクターたちが大活躍するキャラもの映画の側面が強いのだが、それ以上に原作ゲームのプレイ体験を映画のフォーマットに落とし込んだ作品という色合いの方がより強く、「キャラとしてのマリオの映画」というより『ゲームとしてのマリオの映画」という方が感覚的に近い。

 2D横スクロールゲームをそのまま持ってきた構図のシーンしかり、原作でおなじみの土管やちくわブロックなどで構成された狭い足場を走り抜けるシーンしかり、ゲームの意匠をそのまま持ってきたシーンが非常に多く、このあたりはかなり原作ゲームそのままの画作りがなされている。

 また、そのようなあからさまなシーンでなくとも、近年のマリオシリーズのキャラクターデザインと本作のキャラクターデザインがそもそも近く、さらに、舞台となるキノコ王国やジャングル王国のデザインも原作ゲームの雰囲気をかなり忠実に再現しているため、マリオやピーチが駆け回っているだけで、原作のゲームを遊んでいた頃のゲーム体験が蘇ってくる。そのうえ、作中のキャラクターやビジュアル、アクションが、様々な年代のマリオシリーズから参照されているため、どの世代のマリオファンでもどこかのフックには引っかかるように映画全体が構成されている。


 ゲームを映画に落とし込むうえでのビジュアル面でのイメージの膨らまし方も非常に巧みで、原作のイメージを崩さずにアニメーションとして見栄えがするようなイメージの補完がなされている。

 例えば、近年の「マリオカート」シリーズでは、自身が使用するキャラクターだけではなく、自身が選んだキャラクターが乗るカートを、自分でタイヤやボディを見繕ってカスタマイズすることができるのだが、このカートのカスタマイズ画面を本作では、ジャングル王国のエンジニアたちにマリオたちがカートのカスタマイズを依頼するためのスロット型の電子画面として表現している。このイメージの補完の仕方が絶妙で、自分がマリオカートを遊ぶ際のプレイ体験が呼び起こされるとともに、普段自分が遊んでいるゲームの世界でも裏ではこういうことがなされているのだろうなという空想も広がるという、実に理想的なゲームの映像化となっている。

 一方で、主人公のマリオやルイージ、ピーチたちについては、これまでのゲームでは語られていなかったようなバックボーンが多く描かれており、特にピーチについては原作ゲームの雰囲気とはだいぶ変えてきている。ただ、これについてもそもそもの原作ゲームで、彼らの内面が掘り下げられることがあまりないうえに、それぞれのキャラクターのパブリックイメージに大きく反するようなキャラ付けがなされていないため、映画としての面白さの底上げのこそなれ、鑑賞のノイズとはなっていない。特に、囚われのお姫様という現代では若干古いキャラクター性を、その要素をほんのりとは残しつつも基本的には排し、マリオとの対等なパートナーとして描いた本作のピーチのキャラクター設定は、原作からの上質なアップデートとなっている。


 原作ゲームに忠実な作りがゆえに、「キノコを食べると巨大化する」であるとか、「?マークの印字されたブロックを叩くといろんなアイテムが出てくる」といった、かなり独特な設定の多い本作であるが、このあたりについてはストーリーに絡めながら、かなり丁寧にフォローがなされており、元のゲームを全く知らずともある程度は違和感なく観られる作品となっている。とはいえ、マリオが突然、猫やタヌキの着ぐるみをまとってパワーアップする描写であるとか、突然ピーチがアイスフラワーでパワーアップする描写であるとか、独自性の強いゲームの設定を説明抜きに提示する場面も多く、力技な部分もちらほら垣間見える。

 ただ、前述の通り、本作が「ゲーム体験としてのマリオ」を映画化するコンセプトで制作されているであろうことを考えると、おそらく全くマリオのゲームに触れてこなかったような人はそもそも本作の対象ではないのだろうと思われ、そのうえ、少なくとも50代以下の世代でマリオに全く触れたことがない人というのも逆にまれであろうことを考えると、この思い切り方も一つのやり方なのだろう。

 その中でも特に本作の作劇の方針が一番如実に現れているのがクライマックスで、本作では何の説明もなく、作中でも非常に影の薄かったマクガフィンが、あまり説明のなされぬままに主人公たちの逆転の切り札となるという作劇のセオリーから考えると絶対やってはいけないストーリーが展開される。が、本作がマリオのゲームで、マクガフィンがスターとなると話は全く違ってくる。マリオのゲームのセオリーが骨の髄まで染み込んでいる人間としては、クッパに襲われ絶体絶命のマリオの前にスターが現れるだけで勝利への道筋が即座に脳裏をよぎり、否が応でも胸が高まってしまうのである。


 ドラマ映画の枠組みで考えると、本作の脚本は90分でも余るほどのシンプルもシンプルなストーリーであるし、何か強いテーマ性のある作品というわけでもない。ただ、これまでの人生で一度でもコントローラーを握りしめ、マリオを操って一喜一憂した経験のある人であれば、あの頃の高揚感を鮮やかに呼び起こされる作品となっており、「スーパーマリオ」の、そして、「TVゲーム」の映画化としてはこれ以上ない仕上がりの作品となっていると言えるだろう。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集