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マインドフルネスを始めて4年4ヶ月経過

こちらでマインドフルネスを仕事にしておられる族さんの記事をみておりますと、「わたしこそが正しい。書籍や独習では絶対無理。」と限定的書き方をしておられる方がおられます。

猫目石一家はまず書籍から入りました。著者は僧侶で、曹洞宗の寺で修行→アメリカで布教活動→タイでマインドフルネス修行→日本で寺院開設と仏教に一生を捧げておられる方です。

その先生によれば、お寺に来る前には書籍くらいは読んできてほしいとのことでした。podcastもやっておられて、遠方でお寺に来られない方にもマインドフルネス瞑想ができるようにご指導なされております。

先生に師事するまでに時間があってもかまわないと書いておられました。「こうでなければならない」とはおっしゃっておられませんし、仏教以外のたとえばキリスト教の先生などとも共に講演をなさっています。

慈悲の瞑想についても事例をあげて説明しておられ、最初はちんぷんかんぷんであった猫目石一家もよくわかるようになりました。

それはともかくとして


現実化

義理母が亡くなる一年ほど前から、われわれには不思議なことばかり起きました。まさかぁと思うようなことです。瞑想をしておりますと、先祖さんなのか?誰からなのか?義理母の将来について教えてくださるのです。

2020年頃から「あなたたちのおばぁさん(義理母)には2022年はありませんっ」と何度もささやかれるのです。われわれ何の能力もありませんから、多分空耳か、われわれが勝手に決めつけていることだろうと思っておりましたら・・・本当に2022年はなく、2021年12月初旬にこの世を去ってしまいました。

2021年春、義理母入所の施設より「今後の治療のための話し合いがあるのできてほしい」との連絡がありました。延命治療をするか、しないかの選択を迫られるのですね。

この時も瞑想中に問うてみたところ「延命治療をすれば、われわれのところには来ることはできません!」とはっきりと言われました。われわれは、このお達しをとにかく信じてみよう思い、延命治療を選ばない旨を施設の方々にお伝えしました。

全ての薬をやめたとたんに、義理母はどんどん顔がきれいになり、元気になっていきました。意識もはっきりしており、施設の先生は意思疎通がスムーズだとおっしゃってくださいました。耳が良く、ドアが閉まっていても外から声がけすれば、返事があるとのこと。

施設のケアマネさんは「このままだったら2022年もまだまだ大丈夫なのではないか?」と言われておりましたが・・・われわれは瞑想中のお達し「2022年はない」が頭にこびりついておりましたので、「それはないんだけどなぁ」と金平と話しておりました。

義理母は突然亡くなり、夜中に遠方の施設まで急ぎましたが会うことはできませんでした。よく家族に看取られて亡くなったとありますが、うちは義理父もそういうことはなく、誰も知らないうちに天に向かっていきました。

2021年12月初旬の義理母の死を境に、ものごとが急激に動き出しました。そしてその後も・・・瞑想は続けておりますが・・現実にはわれわれが望まないことが突然起きて、嬉しいことではあるものの、夜中にスマホのアプリをみては「本当だね〜」と金平と手をとりあって安堵しておりまする。

「これでゆっくり寝られるわ。心配して損だったね。」と。突然良きことがふってきますと、逆に不安になることもあるんですよ。

自然体

今のわれわれは楽に生きたいと思っています。他族と競争して生命力をすり減らしたり、なんだかんだと我慢することから離れました。瞑想を始めた頃、「苦しみ癖を取りなさい」とよくお達しを受けましたが、なかなか取れないんです。

苦しみ癖をとるのに3年ほどかかったかもしれません。

今は自然のサイクルを観察し、流れに任せたいと思っています。

義理両親とも、自然の流れに身を任せたと思っています。どれほど努力しても突然命を持っていかれることもあるでしょう。人族も自然の中の一員ですから。

この流れを止めようとすることは、誰もできないのでは?

誰かと競争して勝ったとしてもいつかは必ず負けるようになっています。ずっと勝ち続けることはできないのも、自然の流れの一つではないかと思います。

この法則めいたことを考え始めたのは、マインドフルネス瞑想をはじめてから。継続するうちにだんだんと考え方が変わり、新たな方向へと向かうようなりました。

本当の自分(深層心理ともいうらしい)が無意識のうちに望むことでない限り、道がないんですね。義理母は亡くなる数年前、猫目石ばぁさんの今後を憂いておりました。

「道がないように思う。どうしたらいいのか?でもこれは自分が邪魔をしているからではないのか?」と言っておりましたね。親ならこそですね。

義理母亡き後、猫目石ばぁさんは、自分の道をみつけてたくましく歩んでおりますよ。

過去に任されていたことも無駄ではなく、別ルートの一つだったのでしょうね。ただ、別ルートはわれわれには歩きにくかったです。

別ルートでも努力しましたが、どんなに頑張っても限度があり、その道はキッパリ切り捨てました。その道では不快な思いをしたものの、今でも恩恵も被っていますので、良しとするべきではないかと思います。

それではまた。今後も書いていきます。よろしくお願いします。


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