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♯19 終活について②
「死」は未知なる扉
多くの人が「死」への不安を抱く理由は、死が何よりも「未知」であるからだと本で読みました。人は未知のものに恐怖を感じます。特に現代では、死が日常生活から切り離された「非日常」の存在となっており、死に関する経験が少ないため、より一層の不安が生じやすくなっています。介護現場でも、死への不安を抱える高齢者の家族が多く、その多くは「最期をどう迎えたいか」を考えたことがない。このため、心の準備が整っていない状態で終末期を迎え、不安、葛藤、混乱が生じてしまうことがあります。
私は高齢者施設で働いている中で、入居される方は、概ね80代~90代の方。多くの方が認知症があり、なかなかご自身の事を多く語れる方は少ない。そのご家族は70代~60代 自分たちも人生を年金くらしにシフトした方が多くを占める世代。施設入所で初めて考える最後の迎え方。急に言われても、困惑する人、逆にもう死ぬんですか的な不満気味な人。年々いつまででも生きるかのような錯覚をしておられる方が増えてきている。
そもそも「死」に関してなんで曖昧で隠されてしまったのか、近代の「死」関する歴史について簡単にさかのぼってみた。
「死の歴史」やその価値観の変遷は、日本社会における歴史的・文化的な背景に深く根ざしていることがわかりました。戦前と戦後の価値観の違いも、社会が経験した大きな変化に伴うものでした。
1. 戦前の「死」の価値観
戦前の日本では、死に対する価値観は宗教や伝統的な文化によって大きく形作られていました。仏教や神道の影響により、死は「輪廻転生」や「ご先祖様と共に生きるもの」と考えられていたため、死そのものが穏やかで自然なものと見なされる傾向がありました。また、家族や地域とのつながりも強かったため、個人の死は「家族や共同体における継承」の一部とされ、重要な儀式として敬意をもって受け入れられていました。
特に戦時中には、戦争による多くの若者の死が「尊い犠牲」として英雄視され、国家や共同体のために命を捧げることが称賛される風潮がありました。こうした「公のための死」の価値観が強く根付いていたため、死が個人の問題として扱われることは少なかったのです。
2. 戦後の変化
第二次世界大戦の敗北とその後の占領期に、日本社会の価値観は急速に変わり始めました。戦争による大きな喪失感や苦しみを経験し、「死」への考え方は戦前のような英雄的なものから、より個人の感覚に重きを置くものに変わりました。さらに、アメリカ文化の影響を受けて、個人主義が広がり、死や人生の意味について個々に考える風潮が高まりました。
高度経済成長期には、物質的な豊かさが社会の中心となり、死は避けたいもの、触れたくないものとして遠ざけられがちになりました。多くの家庭が核家族化し、死にまつわる儀礼も次第に縮小され、家族と死別する瞬間も病院で迎えることが一般的になりました。この頃から、死が日常から遠ざかり、タブー化されていったと言えます。
3. 現在の「クロード」な死の価値観
現代の日本社会において、死はプライベートなもの、場合によってはタブーとされる「クロード」な存在になっているように感じられます。死を巡る価値観がクロード(曖昧で隠されている)なものになった背景には、以下の要因が考えられます:
医療の発展と延命: 医療技術の進歩により、死が延命治療の末に病院で迎えられるケースが増加しました。家族が死の瞬間に立ち会う機会が減り、死が現実から離れたものとなりやすくなっています。
少子高齢化と核家族化: 死を共有する家族や地域社会のつながりが希薄化し、個人が死に対するケアを担うことが難しくなっています。
メディアや社会の影響: 「死」をエンターテインメントやニュースの一部として遠巻きに見る機会が増え、実際に向き合う場面が減っています。
終活の流行: 近年、終活という概念が広まり、死の準備をすることで死を意識的に管理しようとする動きが見られますが、これは「死の不安」を減らす一方で、死そのものを「日常の一部」として自然に捉えるのが難しい側面もあります。
4.知ることの大事さ
「終活」という概念が広まり、自らの死に備えることで不安を和らげ、意識的に死を管理しようとする動きが活発になっています。終活は、遺言書の準備や相続計画、葬儀の形などを事前に考え、自分の意思を明確に残すことを重視するものです。これにより、「死」が漠然とした恐怖ではなく、整理された計画として見える化され、本人・家族の心理的な負担を軽減する効果が期待されます。
ただし、終活が進むことで、死があくまで「管理すべきもの」として捉えられ、自然な日常の一部から遠ざかる側面もあります。
とはいえ、死について何も知らないよりも、知っていることはより良い終活に向けた一歩を踏み出すための土台となります。死に関する知識が増えることで、自然な心構えができ、死を身近に感じながら自分らしい生き方を選ぶことが一番大事なことになると私は考えています。
一日一感謝 今日もありがとうございました。