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♯18 終活と終末期

現代の終活と終末期について、介護の専門家の視点から見ていくと、特に現代社会における「死」への向き合い方に大きな変化があることがわかります。かつての社会では、死は日常の一部であり、遠い未来のものではなく身近な存在として認識されていましたが、現代ではそれが「非日常の出来事」として扱われるようになりました。この変化が、私たちが必要以上に死を不安視する要因となっています。

昔の「死」のあり方

戦後の高度経済成長期以前、日本では家庭や地域が密接につながり、誰かが亡くなると、村や町全体がその人を悼み、その過程を見守りました。死は特別なことではなく、「生きることの一部」として自然に受け入れられていたのです。例えば、田舎では家族が家で看取られ、周囲の人たちがその最期を見守る光景が一般的でした。死は神秘的なものでも、避けるべきものでもなく、祖父母や親の世代が当たり前に経験するものでした。幼い頃から大人たちが命の終わりと向き合う姿を見て、自然にそれがどのようなことかを理解していく時間がありました。つまり、死は「ある日突然目の前に現れるもの」ではなく、じわりじわりと受け入れるための準備を子供の頃から進められるような存在だったのです。

現代の「死」への距離

しかし現代社会では、死は日常から切り離され、病院や施設の中で起こるものとして「非日常の出来事」として扱われることが増えています。高度経済成長期を経て人々の生活が都市に集約され、家族や地域のつながりが希薄になるにつれて、死もその延長線上に隠れるようになりました。今では、多くの人が病院で最期を迎えるため、家族であっても「死」を身近に経験する機会が少なくなっています。多くの人にとって、死は身近で起こるものではなく、専門的な知識を持つ医療スタッフのもとで行われる「特別な出来事」となり、「別の世界のこと」として意識されがちです。

この背景には、死や終末期に対する不安や恐怖を払拭し、見て見ぬふりをするという社会の価値観が影響しています。現代の生活は、便利さや快適さを追求する一方で、「人が最期を迎える過程」に対する理解が薄まり、「死=未知なる恐怖」という認識が増幅される原因となっています。さらに、メディアなどの影響もあり、死が悲劇的かつ不安を掻き立てるものとして描かれる場面が多いことが、私たちの中に「死は遠ざけるべきもの」という意識を根付かせているようにも思うのです。

死を身近にすることの意義

介護の現場で多くの方を看取りながら感じるのは、死を非日常的なものとしてではなく、人生の一部として捉えることで心の安定が生まれるということです。死は誰もが避けて通れない道であり、決して特別なものではありません。介護現場で働く専門家として、死を前にしたご本人が安心して最期を迎えられるようサポートする中で、死と向き合う心の準備があるかどうかを、本人以上に、家族や周辺で支える人が、その人の最期の迎え方に大きく影響することを実感します。

例えば、終活として自分の人生を振り返り、心の整理をして、最期の時をどうしたいか周りに示しておくと本人はもとより、家族や周りの支える人も、それを頼りに前に進むことができます。なんども不安になりますが、意向があることで船のコンパスのように、迷っても帰ってこれるようになります。あとは信じるしかないのです。何が正しいかなんて誰もわからない。だから最後は信じるしかないと思っています。ただ信じるまでのプロセスとして、いろいろと話し合いはして、後悔はなくならないけど、少しでも少なくすることはできるはずです。

現代では、終活を通じて「死」に対する不安を和らげ、身近なものとして捉えるための方法が提供されています。介護の専門家として、「死」を生活から切り離された特別な出来事ではなく、「生きることの延長」として捉え、身近に受け入れることが心の安定と安心感に繋がると考えています。昔のように時間をかけて「生と死」を自然に感じる機会が少なくなっているからこそ、終活がその役割を担い、死を身近なものとして心の準備を整える手段として重要になってくると考えています。

終活や介護の分野で「死」を再び身近なものとして捉えられる環境が増えることで、現代社会における「死」への不安は和らぎ、心穏やかに人生の最期を迎えられお手伝いをしたい。

一日一感謝 ありがとうございました。

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