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10代の頃に見ていた番組

こんにちわ、ねこまねきです。
先日YouTubeで 30年以上前のNHKスペシャル 「人体」 を見つけました。
生命の誕生から脳や腸など、様々な角度から人間の身体について
深く追求した番組です。

驚異の小宇宙「人体」 このシリーズは1989年にスタート。
シリーズはⅢ部で構成されていて、1999年のパートⅢまで放送されていました。

この番組が始まった時、私は10歳。
その年齢でこのシリーズを見ていたんです、私。

10歳って・・・・・まだ小学生ですよ?

小学生が見るテーマじゃないですよね。「人体」

私は何でこんな番組を見てたんでしょうか?


NHKしか見られなかった子供時代


我が家では子供の頃、見て良いテレビの番組が制限されていました。

多分、親の教育方針だったんでしょう。

NHKの番組しか見ることが出来なかったんです。
他局のお笑いやアニメは禁止。
コミックも禁止。
ゲームも禁止。
ついでに駄菓子屋も禁止。おやつは母親の手作り。
(ポテチ食べたかった・・)
禁止 禁止 禁止 ・・・。

親の価値観では「子供にとって有害である」と思われていたんでしょう。
(まぁ、今考えると親は親なりに考えて子供に良い環境を用意しようとしたのかな)

そんな環境だったから 私にとってはNHKの番組がとても楽しみでした。

なんせ娯楽と言えば、NHKの番組と読書、自然観察、釣りくらいしか
なかったのですから。


「面白い」という感覚が他の人と違う!?

こんな環境で育つと、子供はどうなるのか?

もちろん、私の場合の話でしかわからないのですが。

私は昔から同級生と「面白い」という感覚が異なっているなぁ、と感じていました。

「普通」の子供はどんなことを面白いと思うのでしょうか?

お笑い? マンガ? ドラマ? ゲーム? 友達との遊び?

私にとっての「面白い」とは
「知的好奇心を満足させてくれるもの」 でした。

これは大人になった今でも自分の中に残っていて
謎解きや哲学、自然観察、古代文明、心理学などに面白さを感じています。

これは今ではとてもありがたい感覚で、物事を考える時に本質的な事を見抜くのに役立っています。

ただ、この役立っていると実感したのは大人になってからの話。
子供の頃はこの感覚のせいで苦労しました。


楽しさを共有できない辛さ

小学生の頃からこういう番組を見ていたせいか、同級生とは全く話が合いませんでした。

そりゃそうですよね。
みんなが「昨日のとんねるず見た?」なんて盛り上がってるときに
「昨日の人体面白かったよね」なんて言っても誰も理解できません。

ゲームの攻略をあーでもないこーでもない言ってる横で
心理学の本を読んでると
「なんの本読んでるの?」
一応声をかけてくる同級生。
「うん。心理学の本だよ」
「・・・・ふーーーん。」と興味なさげな返事を残してさっと離れる。

「なんかまたよくわかんない本読んでた~~」
はいはい。そうですよね。

自分が「面白い」と思っていることが周囲の人には理解されない。
同級生どころか、大人たちにも理解されない。

だんだん、話し相手はいなくなっていきました。

大人っぽいね は 子供っぽくない の裏返し

同級生の親や先生から「大人っぽい考え方だね」と言われる日々。

最初のうちは、なんか褒められているような気がして嬉しかったのですが
そのうち
「大人っぽい」って「子供っぽくない」ってことだよな
と気が付くようになりました。

あれ??自分は変な目で見られてる?

どうやら大人が言う「大人っぽい」は
「この子は私たちにはわからない話をしている」
という意味を含んでいるんじゃないかと、ある日気がついてしまいます。

もしかして「普通の」大人はこんなことは考えないんじゃないか?

自分は大人と同じような目線で考えて喋っていたはずなのに、それすらも違っていた。

話が合わないなら、仕方ないな。
ムリに話さなくてもいいかな。
説明するの面倒だし
また変なものを見るような目で見られるし。

気が付いたら私は周りの人と話をすることが苦痛になっていました。

反抗期がいつからだったのか?
はっきりとはわかりません。たぶん早かったんじゃないかな。

中学生になると、さらに対人関係は悪化していくのですが
それはまた別の記事で書きたいと思います。





























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