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見えない何かのせいにする または見えない何かに感謝する

私は、人生で一回もオバケを見たことはないけども、人生で三回ほど見えない何かが体からボンと出ていったことがあるので、何かはわからないけど見えない何かが存在することを確信している。

1回目はまだうら若き22歳の頃、彼氏と同棲していた私は、夜、胃のあたりが痛くて眠れずにいた。
あまりにも痛くて、とうとう深夜に起き上がって痛いよーと声をもらしたところ、横で寝ていた彼氏が目を覚まして「大丈夫?」と一言だけ言ってまたすぐ爆睡した。
当時は薬も常備していなかったし、そもそも薬を飲むという概念を持ち合わせていなかったので、ひたすら我慢して寝ようと、また横になった。
すると次の瞬間、頭からびりびりびりびりと静電気みたいな鳥肌みたいな変な感覚が生じて、それがぞわぞわぞわぞわとだんだん下に移動していき、ついには足の先からボンッと出て行ったのである。
直後から、腹の痛みは完全に消え、私は数分後に眠りに落ちた。時計は確か3時あたりであった。次の日彼氏にその話をしたが、深夜に一瞬目を覚ましたことは一切覚えていなかった。

2回目は、それから7、8年後のこと、その彼氏と結婚して、二人目の子供が生まれた頃のことである。
四人で川の字になり、私は赤子を寝かせつけながら自分もうつらうつらしていた。
その時、私はそれまでに感じたことのないほど強烈な不快な気持ちになっていた。怒りなのか悲しみなのか憎しみなのか、あるいはそれらが全部混ざったような、恐ろしく嫌な気持ちがしていた。理由はよくわからず、嫌な夢を見ているという感覚とも違っていた。
私ははじめはただ不快感を感じていただけであったが、やがてその感情を、少し離れたところから客観視しする別人格の自分が目を覚ましたような感覚になった。
すると次の瞬間、猛烈に胸が圧迫され、首が締まり、呼吸が困難になり、やばい死ぬ!と思ったところで何かが背中からボンッと飛び出して行ったのである。その衝撃は大きく、私はベッド上で少し跳んだようだ。赤ん坊と幼児がうーんと寝返りを打った。
その後、あの不快感は嘘のように消え、いつもの寝入りの私に戻った。恐怖心ですぐには眠れなかったけれども、気持ちはすっきりしていたような記憶がある。

3回目はそれからまた7、8年後のこと、割とつい最近である。
前回前々回とは違い、その時は完全に寝ていて夢を見ていた。その夢の中で私は「あー犬とヤりてえな」と言った。言ってから、嘘だろ!?と思った。次の瞬間、またぐっと胸が苦しくなって、息ができなくなって、今度は口からボンッと何かが出て行った。
単なる夢だと言われればそれまでだが、いくら夢でも自分は絶対に犬とヤりたいとは言わない自信がある。あれは間違いなく、見えない下等な何かの念であった。

お腹を痛くする見えない何かや、ものすごく不快な気持ちにさせる見えない何か、また犬とヤりたい見えない何かが私に影響を与えるならば、もしかしたら過剰なうつや、イライラが発現する時も見えない何かのせいってこともあり得るんではないか?
そう思った私はとりあえず、ネガティブな見えない何かに負けないパワーを身につけたいと思う。
味方になってくれそうなのは、ご先祖と神サマだ。

これまでご紹介した三回の見えない何かはいずれもネガティブな見えない何かであったが、よい見えない何かもあったのである。

私が子供の頃、父はいつもイライラしていて仕事のストレスに押しつぶされ鬱だの辞めたいだのと苦しんでいたのだが、ある日家に仏壇を買って毎朝毎晩先祖に挨拶して花と線香をあげるようにしてから、性格が丸くなり、同時に急速に大出世し、最終的には役員に昇格した。
主に東大京大慶応卒しか役員にならなかった父の会社で、技術系大卒で、しかも若い頃酔っ払ってよその家を自分の家と思い込んで雨戸をはずして入り込んで寝ていて警察にしょっぴかれて会社に連絡がいってしまい「酔うとやらかす人物リスト」に載っている人物が役員になったのは異例とのことであった。
その後父が買ったキャンピングカーが、管理が悪くてタイヤがバーストして横転した時も、孫含む大切な家族は誰一人怪我一つしなかった。
父はご先祖に守られてる。私にはそう思えた。(二度とキャンピングカーには乗らなくなったけど)

また、よい見えない何か体験はもう一つある。
それは数年前、銀行で仕事をしていた私がクタクタで夕食を作ることができず、子供達をファミレスに連れて行った時のことであった。
向かいに座っていた長女が、私の頭を見ながら「お母さんそれなに」と言った。意味がわからず「それとは?」と聞くと「頭の上の白いの」と言う。私は頭に何かついてるのかと思って手で振り払ったがなにもない。「まだある。てか少し浮いてる。白くてふわふわしてる。」
鏡を取り出して見てみたが私には見えなかった。帰って絵に描いてもらった。娘曰くそのころにはもう消えていた。
その数ヶ月後、夜逃げ直前だった我が家は信じられないほどよい条件のそろった二世帯住宅を手に入れ、引っ越した。そしてさらにその数ヶ月後、私は信じられないほど優しい人ばかりで給料も銀行パートの3倍の仕事に転職することができた。あとから倍率は30倍だったと聞かされ震えた。
幸せをかみしめながらある日、見ていたヨガのサイトでチャクラ(気が出入りするツボみたいなもの)というものを知り、ふと思った。
あの時長女が見た私の頭の上に乗ってた白いふわふわっていうのは、第7チャクラ(チャクラの中でも一番すごい、神とつながる系のチャクラ)が開いて神から流れ込んできていた「気」だったんではないかと。
しかるに、調子のよい時は、見えない何かが見えない何かをしてくれているのだな、と感謝するようにしている。  

先日仕事で疲れた時にそのことをふと思い出し、またチャクラ開かないかなと思って、静まり返った夜中に久しぶりに胡座をかいて、ヨガの瞑想をしてみたところ、突如爆音の緊急地震速報が鳴って心臓が止まるかと思った。きた地震は震度1だった。

見えない何かたちのイタズラであろうか。

#日記  #見えない何か #HSP #エッセイ #スピリチュアル 

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