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#2. 無題


実家時代の本棚


MacのMagic Keyboardがマルチ接続じゃないことに今頃気がついた。不便だ。

約3ヶ月の入院を終えて帰ってきてから約1週間弱、生活にも慣れてきた。慣れるまでが大変っだった。とにかく読書した。そういえば、音楽は全くといっていいほど聴いてこなかった。過眠が続いていて、起きるのはいつも午後4時前(睡眠薬をかなり多く自分で削っているのにも関わらず)。そこから1日を始める。それはとても嫌な気分がするものだけど、とにかく僕の1日を始める。僕にとってもっと難しいのは、1日を締めくくることのほうだ。眠るのはだいたい夜明けの4時前か3時になってしまうことになる。

胃瘻から栄養剤を入れる生活にも慣れてきた。

僕はこれまでの人生で幸福とか不幸というものを考えてこなかった。いちいちその二つに分ける暇がなかっただけかもしれない。ただただ前からやってくるものを受け入れてこなしてきた。だから2度にわたる頭(脳)と胃瘻造設の手術を受ける際にも何の躊躇もなく、即座に「お願いします」と受け入れた。そして今、その後の新しい生活を始めている。

入院中には病院のコンビニエンスストアが受け取りスポットだったこともあり、大量の物品と本を購入した。もともと家からも大量の本を持って行ってたんだけれど。病院では誰とも話さないようにし、ずっとカーテンに仕切られた自分の空間から出ず、誰とも口をきかずに本をずっとベッドに座って読んでいた。

脳を手術する病気のせいで58キロあった体重が40キロまで落ちた。「廃用症候群」という病名がつけられ、手術前に体力を取り戻すための別の入院を取る必要があった。高校時代からのストイックな筋トレと激しい肉体労働のおかげで、銭湯や温泉に行くと「自衛隊の方ですか?」「ボクサーの方ですか?」と声をかけられるほどだった僕の体は骨と筋だけになってしまった。女性の看護師にも「すごい体してるよね、男性にも着痩せってあるんだね。筋肉のある男性の体は今ままで何度も見たことあるけど、筋肉のつき方が他の人と違うのよね」と言われるほどだったのに。
でも僕は、今流行りのジム通いもしたことがないし見せるための体を作るためでもなく健康のために体を築いていたわけではない。それは簡単に言えば、村上春樹の「海辺のカフカ」のカフカ少年のような動機と同じだといってもいい。カフカ少年のように切実に強くなる必要を感じていたわけだ。村上春樹の作品が全て自分のための特別な作品であるように、「海辺のカフカ」も僕のための作品の一つだ。

20歳から始めて29年経っても未だに続けているカウンセリング、二人のカウンセラーに見てもらっているけれど、一人目の男性カウンセラーには「僕たち一般の読者は村上春樹さんの本を読み終わって本を閉じるとそこが現実のリアルな世界だけど、君にとっては村上春樹さんの小説の中の現実の方がリアルなもので、彼の作品の中の現実の方が君の現実そのものなんだね」と言われたことがある。村上春樹さん自身が「僕の作品が、正しい方向を求めている人のためになっていると嬉しい」「人生の中で何度も読み返す本がある人は幸せだ。それが僕の作品だと嬉しい」と言っているように、僕にとってまさに彼の作品はその役割を果たしてくれている。人生の中で、村上春樹河合隼雄さんの本に巡り合うことができなかったら、おそらく僕はここまで生き延びることができなかっただろう。そして、この先の人生を生き延びることもできないだろう、と僕は思う。

もちろん、レイモンド・カーバー、ティム・オブライエングレイス・ペイリー達の本にも感謝を込めて。

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