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リベラリズムだけでは不十分
M.アンソニー・ミルズ
政治勢力の左右を問わず、リベラリズムは既成概念となっているようだ。伝統的な右派では、ファーストシングスのR.R.リノが「我々はリベラル的なモノカルチャーに悩まされている」と主張している。その特徴は、「文化的および経済的な規制緩和による二本立てのプロジェクト」であり、社会をまとめるために必要な連帯感を損なっているという。左派ではジャコバン派のニコール・アショフが「グローバリゼーション、規制緩和された金融市場、大企業や富裕層への大規模な税制優遇」といったリベラル的政策が、『エリート』と『普通の人々』との間に、大きな不平等の『断絶』を生じさせていると批判している。
リベラリズムの中心にあるのは、制約からの解放としての自由の概念である。つまり、他人が同じ事をする自由を侵害することなく、自らの善の概念に従って行動する自由のことだ。したがって、リベラリズムは政治を手続き的に理解している──つまり、特定の理想に有利にならないように天秤を傾けることなく、競合する私的利益を中立的に量ることである。したがってナショナリズムや社会主義といった、現代のリベラリズムに代わるものが。選択の自由よりも社会的結合の重要性を強調したり、道徳的に中立な国家はあり得ない、あるいは望ましくないとしたり、政治的エリートと企業エリートとの間の腐敗した駆け引きを糾弾する必要性を強調することによって、実質的な空白を埋めようとしているのは偶然ではないだろう。
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