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【ゆたぼん】学校に行かないのは自由だけど、、、ー茂木とひろゆきと時々おとんー

少年革命家のゆたぼん君が中学校に行かないと宣言してから、様々な大人が、賛成だの反対だのと言っている。

賛成派でいえば、茂木健一郎さんは、ホームスクーリングはアメリカでは一般的であり、「学校に一日も行かなくても素晴らしい大人に育っている事例は世界中にいくらでもある」と言い、このようなことが問題になること自体、日本が教育に関して遅れている証拠だと主張している。

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反対派でいえば、ひろゆきさんは、ホームスクーリングでは、学校と同じレベルの教育を受けるのは困難であり、「教育の機会を捨てるのを是とする考え方を広めるのは社会的に良くない」と主張している。

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私自身の考えは、意志の弱い人間には、家庭の勉強というのは中々厳しいということだ。以前、私は、専門学校にいきながら、通信制の大学に通学していた(このような形でしか、専門学校に行くことを了承してもらえなかったのだ)。

しかし、通信制というのは、「自主性」が最も求められるもので、1年目はまだしも、2年目以降は、ボロボロだった(そして、親には申し訳ないが、就職と同時にやめてしまった)。

勉強が役に立つか否かもわからない遊びたい盛りの子どものころに、自主的に勉強することは、相当に難しいことだと思う。子どもは、周りがやっているから、先生に怒られたくないから、親に失望されたくないから、そんな下らない理由で、皆、しぶしぶ、勉強しているのだ。

もちろん、それは本来の勉強の目的からすれば、いいことではない。なぜなら、勉強は、自分のためにやるものだからだ。しかし、誰が好き好んで、数学や古文の勉強をするというのだろうか。しぶしぶ勉強しているうちに、次第に、子どもは、「常識」らしきものを身につけていく。

大学に行かなかったことで、再就職の時に地獄を見た私からすると、凡人は、絶対に大学を卒業した方がいい。この国は、それくらいまだ全然保守的だ。この社会では、大学を出ることで、やっと「普通」であることを、証明できるのだ。

それを、ゆたぼん君はくだらないことだと思うだろう。「常識」や「普通」なんかでがんじがらめになれば、つまらない大人にしかならない。学校の校則になんか従っているロボットのようにはなりたくない。だから、そもそも学校に行く必要はない、と。

まさに、その通りだ。特別な自分でいたいのなら、自分の信念を曲げたくないのなら、学校になんて行かない方がいいし、その後も会社で働くこともしない方がいいだろう(会社のルールなんて、学校以上にひどい)。

ゆたぼん君は、アンチが「学校に行け」と言って、言う通りにしたところで、お前らは、俺の人生に責任とれないだろ、と言う。

その通りだ。学校に行きたくないのなら、行かなくてもいい。それは、自由だ。外野がどうこう言うことではないだろう。結局、自分の人生に責任をとれるのは、自分だけだからだ。

学校に行くのも、行かないのも本人の自由。人生の選択には、結局メリット、デメリットがあり、何を重視するのかは、本人の価値観で決めるしかない。他人がいくら言っても仕方がないのだ。

ただ、一つだけ言えるのは、子どもは、親の自己実現を叶えるための道具ではないということだ。子どもに無理矢理勉強させて、東大に行かせることもよくないし、子どもに「少年革命家」を名乗らせて、自分の思想をYouTubeで語らせるのもよくないことだ。

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子どもで売名をするのは、本当によくないことだと思う(ひろゆきさんが怒っているのは、この点にあると思う)。自分の思想を語りたいのなら、自分のYouTubeで存分にやられたらいい。バカボンのパパじゃないんだから(いや、バカボンのパパは売名のつもりなんてないのだろうけれど)。