自己肯定を目標にした理由と自分を好きになる方法
思い通りにいかない人生だからこそ、夢や目標は必要なんじゃないかしら。
自分がどういう人生を選びたいかと言うことは自分で選べるのよ。
もちろん自力ではどうにもならないこともあるけれど。
自分で進みたい方向は選べるし、きちんと目標を設定すればいつの間にかそっちへ進んでいるのよね。
ところが設定があまりにも無理があると難しいこともある。
だから長い目で見ていくことも必要なの。
諦めず、腐らず、卑屈にならず、諦めないためにね。
自分の常識が非常識だと疑ってみる
マダム♡千壽の人生は、若い時の方がいろんな意味でキツかったわ。
そして別居や離婚で、人生が上手くいかない時に、いよいよその原因を考えたのよね。
相手にではなく、自分の方の原因よ。
相手や周りを変えることはできないけれど、自分のことは自分でどうにかできるじゃない。
だから自分の側の常識を疑ってみたの。
そうしたら、母親やその親に起因するものもあったのよ。
若い時は客観的に分析できないから全然気付かなかったのね。
流石にいろいろ上手くいかないことが続くと、おかしいのは自分じゃないかしらと思い始めたわけね。
ただ原因が分かったところで人はすぐには変われない。
どうしたら解決できるかも分からない。
だから答えを丁寧に探し始めたのよね。
30代が、自分と親のことについて一番悩んで考えたわね。
いろんなジャンルの本を図書館で借りて読んだわ。
自分の育った環境に非常識はなかったか?
正直言って30代まで自分が育ったのは一般的な家庭で、常識の範囲内だと思っていて、ほんとうに疑いもしなかったの。
だけど、自分の家庭内の問題に親が介入し始めて、いろいろこじれてきてからは、自分の中の常識を疑い始めたの。
そして・・・
自分の常識が非常識だったと知った時・・・
母親が変じゃないかと気付いた時・・・
しかもそれを父親は知っていたのに・・・
私に影響が出始めていたのに・・・
関与しようとせず、目を逸らしていたということを知った時・・・
これも結構衝撃だったわね。
「はあ!?知ってたのに知らんふりしてたんかい!」って。
しかもその時、浮気疑惑まで持ち上がって実家は大変になって・・・
「この人の家庭への無関心、無責任がどこにどんな影響を与えているかを、この人は考えたりしないんだ、なんてヤツ!」
変なのは母親だけじゃなかったのよ。
私の中に、両親と距離ができたのはこの時だったわね。
頭の中でパカーンと何かが割れたの。
自分の人生を守ることを決意する
親のことを分析し始めてから分かったのだけど・・・
親は子どもをコントロールしがちなのよね。
私は20歳過ぎると、親に好かれようとか、親の期待に応えようなどという気持ちはこれっぽっちもなくなっていたけれど。
改めて考えると、私の人生に介入して自分の良いようにコントロールしようとしていることに気付いたの。
流石にこれには危機感を感じたわ。
親から離れなきゃ、自分の人生めちゃくちゃにされる!
そう思ったのね。
だから離婚はするけれど、実家には絶対帰らないって決心したのよ。
子どもを犠牲にする親の正体
母親は離婚には賛成で、自分を頼って欲しかったみたい。
私の友達にそれを話すと、「貴女の親はおかしい!」って断言されたわ。
「普通の親は、最初から離婚を勧めない!上手くいくように努力する方法を助言するなら分かるけれど、最初からそれはおかしい!」
その友達の意見もあって、親のことを客観的に見るようになったのね。
思い返せば、幼少時普段全然話もしないのに、私が病気をした時には、嬉々として看病するのが不思議だったの。
”甲斐甲斐しくお世話する良い母親”をやりたかったのよね。
だからこの時、私を離婚させて、弱っている無力な子どもという役割を私に与えて、自分が優位に立ってコントロールしたかったの。
それで自己肯定感を満たしたいのは見え見えだったわ。
だから意地でも実家には帰らなかった。
自己肯定感の低い親の犠牲になんて絶対なりたくなかった。
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