高知の八彩帖(ヤイロチョウ)23・「いのさんく」
かつてとある会社のサイトに連載していたショートエッセイです。高知のあれこれを書いています。
今回のテーマは「いのさんく」。これは土佐弁で「猪野さんの家」を意味します。この「いのさんく」は、近所の駄菓子屋さんでした。
昭和から平成初期の懐かしい思い出話です。今は駄菓子屋さんもすっかり無くなりましたね。それではどうぞ。
「いのさんく」ーー何かの呪文ではない。家から歩いて20歩の所にあった、駄菓子屋の呼び名である。「〜く」というのは、土佐弁で「〜さんのところ」といったような意味だ。だから「いのさんく」は、「いのさんの所(家)」となる。
本当は「猪野商店」みたいな名前がついてたと思うけれど、老若男女問わずみんな「いのさんく」と呼んでいた。
店主は「いののおばちゃん」と呼ばれていた。彼女が猪野さんだろうけど、誰も名前で呼んだりしなかった。おばちゃんはいつも、所狭しと商品が並んだ薄暗い店の奥にいた。
物静かで余計なおしゃべりをしているのは見たことがない。お金を払う時は、全て暗算で計算していた。消費税も無い時代だったから、計算自体は案外簡単だったのかもしれない。
店の外には自動販売機があり、そこで買って飲んだ粒入りのみかんジュースは、酔いしれるように美味しかった。ガタガタときしむ木製の引き戸をスライドさせて店内に入れば、左側にアイスクリームのケースがある。
右手には賞味期限などまるで関係ないような缶詰め類が置いてあった。ちょっとした雑貨類、洗剤やホウキなどが並べられた通路の突き当たりに、駄菓子は置いてあった。
いつもどこで仕入れてくるのか、結構流行りの駄菓子なんかも揃えていた。上からはくじ引きや紙もののおもちゃが吊り下がっており、子どもが4、5人入ると店は満杯になった。
毎日のように通い詰めたいのさんくだが、おばちゃんが歳を取って計算間違いをするようになった頃から、足が遠のくようになった。後におばちゃんが、とさでんの電車と接触事故を起こしたことを新聞で知る。
大人になり同じ駄菓子を食べてみた。奇妙な背徳感に包まれていたあの頃の味わいを思い出すことは、もう出来なかった。
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