豊かに生きるー心地よい生活ー
私、猫足三粒(ねこあしみつぶ)は、高知県高知市に住んでいる。高知県。行ったことのない人は、どんなイメージがあるのだろうか。カツオ?坂本龍馬?それとも「ど田舎」?
高知県は森林面積が84%ある。これは日本一の割合だ。海のイメージがあるだろうが、実際はかなり山深い。本州から四国へ入り、高知へと続く自動車道はトンネルだらけだ。いいかげんうんざりしたところでやっと視界が開け、突如として県庁所在地の建物群が現れる。
若い頃はこの高知が大嫌いだった。何にも無いし、土佐弁も耳にうるさい。何よりずうずしくて馴れ馴れしい、内輪だけで盛り上がるような県民性へのイメージがあった。県外の大学へ進学した際には、一生高知へ帰らないつもりでいた。
ところがである。大学時代に双極性障害を発症し、不本意ながら中退することになった。実家に帰ってからは、昼夜逆転のひきこもり生活である。そんな私をみかねた両親は、度々野山へと連れ出してくれた。冷たい川に足を浸し、落ち葉を踏みしめてハイキングをし、時には大自然のど真ん中でキャンプをした。揺れる焚き火の炎を見つめていると、荒んだ心が安らいだ。
これまでにどれくらい、高知県内を巡っただろう。幼い時、どこまでも広がる太平洋に向かって波を追いかけたこと。磯場で一日中、夢中になって生き物を探し回ったこと。酷道と呼ばれる砂利道を延々行った先で、さらに山登りをしたこと。樹々によじ登り、蔦にぶら下がって遊んだこと。まるで追体験をしているかのように、子どもの頃の楽しかった記憶が、まざまざとよみがえってきた。
あんなに嫌っていた土佐弁も、今では率先して使う。古語を由来とする由緒正しい言葉だからだ。高知に住む地元のおんちゃん、おばちゃんは陽気でお人好しでお節介焼き、そしてサービス精神旺盛だ。なぜそんな高知県人の気質を毛嫌いしていたのか、今となっては分からない。
そんな高知に暮らしていると、この上ない豊かさを感じる。隣の畑から引き抜いたばかりの土付き大根、「良心市」と呼ばれる無人販売店で売っている、「釣り銭」が付けられた野菜、さっきまで天日干ししていた魚の干物を無造作にポリ袋へ放り込んだもの、それらのものを買うことが、本当に恵まれていると感じるのだ。
それぞれの価値観もあるだろうが、私は都会に魅力を感じない。私はそこにあるものだけ、今必要な分だけで暮らしたいのだ。安価な物を次々に消費するスタイルは、自分に合っていない。うわべだけの虚飾をひけらかすことに、何の興味も無い。相手の姿も知らない仮想空間でのやり取りより、人と人との対話によるアナログなコミュニケーション能力を磨いていきたい。
私とっての新生活とは、いかに自分が心地よく過ごせるか、そして本当の豊かさとは何かを追求していくことである。地に足のついた、身の丈に合った暮らしをしていきたい。
#新生活をたのしく