書きたいことがない。
最近投稿が疎かになっていることに気付いている人は、一体何人いるだろう。
たぶん、いないと思う。
自分でこんなことを言うのは、やっぱりちょっと虚しい。
寂しさは伝染するものなのだと、私は思う。
だから、あまり口に出さない方がいいのではないか、なんて考えてしまう。
でも、私の周りで寂しさを感じ、少しでも夜に眠りづらさを感じる人がいたなら、どうか口に出して伝えてほしいとも思ってしまう。
これはエゴなのだろうか。
春に花粉が飛ばなければ、川沿いに咲く桜や、まだ少し肌寒い夜の散歩も全力で楽しめるんだろうな。
まぁ、花粉が飛ばない春を願い待つよりも、私が花粉症を治す治療を受けた方が早いのだろうけど。
朝、お布団がなかなか離してくれない。
隣で眠る猫もさぞ困っているのではないかと覗いてみたけれど、すやすやと心地良さそうに眠っている。
正直、猫がずるくて仕方がない。
なぜ、今日も私はこの温かいお布団から出て、朝の満員電車にもみくちゃにされなければいけないのだろう、、、
言葉って難しい。
選び方を少し間違えるだけで、自分の意思とは違う意味を持って伝わってしまう。
そう、あれも言葉のあやだったのだ。
ちょっと間違えてしまっただけなのだ。
あるいは、言葉足らず。
上手く伝えることはやはりいつだって難しく、また美しくも感じる。
離れたくないのはいつだって私の方だった。
いつも、仕方がないと自分に言い聞かせ、手放したくもない人にも手を振った。
気付けば離れている人もいた。
手を振る覚悟を決める時間をくれたのは、きっとその人の優しさだった。
幸せであれ。
そう心から思える私を、私は誇りに思う。
私の関わったことのある身の回りの人が皆、幸せである方が私も幸せだ。
傍から見れば、その人がどんなに哀れな状況下に居たって、結局はその人が幸せなことが一番なのだろうと、考えられるようにもなった。
これはきっと、私にも当てはまるのだろう。
小さな幸せにも気付き、噛みしめられる人でありたいと、そう思う。
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