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20歳の誕生日、お洋服を買って進化した私。

今でこそ、ちょっと変で、人が持ってなさそうなかわいいものを全力で集めるような私ですが
昔は「好きな色はなぁに?」「好きな遊びは?」なんてことを聞かれると泣き出してしまう子どもでした。

 

というのも、自分の考えていることがかなり長い間自分でわからなかったから。きっと何か意思はあったのだろうけれど、自分でそれを見つけられなくて。


「自由に」とか「好きな」とかいうワードが出てくるのが本当に怖くて。
周りがすんなりやりたいことを見つけているのが不思議で仕方がありませんでした。

そんな子どもだったので、母を始めとした身近な人たちが必死で私の「好き」を見つけ出して与えてくれていました。趣味も食べ物もお洋服も。



自分を理解できるようになった頃には、母が勧めたものたちで世界がいっぱい。もう自分の好きを言い出せる状況になかったのです。
加えて母は比較的容易に否定をぶっかけるタイプです。
例え私が勇気を出して好きな本の話をしても、彼女は悪気なく「いやでもさぁ」「こういうとこ微妙だよね」みたいな言葉を放ちます。
いつしか母に自分の「好き」言い出せなくなっていました。

好きな書籍も、好きなアーティストも、彼氏のことも、日常でいとおしいと思った瞬間も、ありとあらゆる些細な「好き」を無造作に否定されるのが嫌で、彼女の目に見えないところで自分の幸せを慈しんできました。

そんな生活にも慣れたものの、最後にひとつ残った難関がお洋服でした。これは彼女の目を逃れられません。否定されないように母が「いいやん」なんて言った服を買い、可愛いと思ったお洋服はネットで何度も何度も眺めるだけ。

このままじゃいけない。そう思いつづけてようやく、二十歳の誕生日に自分の好きな服を買おうと決めました。バイトで稼いだお金のうち、浪人資金以外のほとんどを貯金し、ずっと見てきたお洋服の中からうんうん悩んで数着を厳選。

ブラウンのチェックのジャンパースカート。
リボンのついたガーリーなブラウス。
ジャケットとミニスカのセットアップ。
マリンのワンピース。
etc....

誕生日、お洋服が届きます。それから数日続けてお出掛けの用事があったので、お気に入りの新しいお洋服を着ていきました。
母は予想通りその服好きじゃないとでも云いたそうな顔をしましたが、もう知ったこっちゃないんです。落ち込む隙もないくらいに、大好きなお洋服を着た私は気分るんるんなのです。


母の呪縛から離れて、「好き」を自分のものにできた私はもう無敵です。

これからは今まで着られなかった沢山のお洋服をもっともっと楽しんでいたいなぁ

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nyaco
嬉しすぎて空飛べそうです。焼きプリンを食べます。