「ぶん殴り」としての「論破」:補足

たとえそれが暴力的であったとしても、エリート批判の暴力性はきちんと受け止め、自らの持つ武器(言語運用能力)の乱暴さにも意識的になること。知性に対して誠実であるということは、反知性的な人々に対しては非暴力不服従を貫くことに他ならないのかもしれない。

エリート批判の暴力性を受け止める、というのは、たとえエリート批判が暴力的であったとしても、それを理由にしてすぐさまその批判を退けるということはしない、ということです。

つまり、エリートは、エリート批判からの暴力には耐え、かつこちらからの反撃の暴力性には極めて自覚的・抑制的でなければならない、ということです。

これが冒頭で述べた、知性の尊重と非暴力不服従の関係の含意です。

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重力と理性
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