天才と渡り合うための多様性、もしくは差別化
美空ひばりが「ワインレッドの心」をカバーしたのを聞いた。
歌がうますぎて色々考えてたんだけど、そもそもの話が純粋な歌唱力でバトったら、絶対美空ひばりには勝てないし、下手に彼女を目指したら死人が多数出るレベルだと思ってる。
だからこそのクリエイターにも多様性、いやむしろクリエイターだからこその多様性だなと。
絵で例えるなら、純粋な画力で勝てないなら、アイデア力だとかの別のアプローチをするみたいな。
漫画だって、下手に大友・鳥山・手塚を目指したら(というか無茶とはいえ、越えようとしたら)多数の死人やあぶれものが出ると思うし、だからこそ、24年組の女性作家たちにしか描けない、女性ならではの凄みのある内面や心理描写なり、吾妻ひでおの萌え絵なり、別のアプローチがあるんだなと思うよ。
まあ、24年組はそもそも少女漫画の最高峰ではあるけれども。
そして個人的に萌え絵はあまり好みではないけど、そのフィールドで戦わなければ食っていけない人や、世に出て来られなかった人たちも沢山いるんだろうと思うし。
そう考えると、いくら個人的に気に食わないクソな作品・曲だと思っても、そこには手塚・大友・鳥山や美空ひばりがやってない、別のアプローチをした上での差別化があるわけで。
いいものはそりゃあ時代を超えて残るものだけど、仮にクソなものがあるとしても、一時的にでも爪痕を残すため、あるいは時代を越える名作の引き立て役になってしまうものだとしても、存在意義が絶対にないとは言い切れないなと思った。
そう考えると、金子みすずじゃないけど、みんな違ってみんな良い。そういうことなのだと感じた。
言いたいことは言えたので、それでは。