「脳内に別人格」をインストールする…?これってどういう…?
私自身この記事を読んで、少し衝撃を受けたのですが、これが自分のしてきたことに近いかもしれないです。
つまり、脳内に別人格を使って、その別人格はどう行動するかということに基づいて自分の道標にしてきたということです。
その意味で、私は脳のなかに人格がたくさん存在するような感じがします。
でも、そうではない意識も存在しているように思います。
つまり、別人格を脳内にインストールする前の思考ということです。
それはおそらく自分の本当にオリジナルの心なのだと思います。
それは私自身女性ではないかと思います。
私はずっと脳内にあるアルターエゴによって行動を操作されていたのかもしれないです。
例えば、サイコブレイクというゲームにはオルターエゴというモンスターがいます。
実際に交代人格が自分を飲み込むような事態があるのかは分からないのですが、私自身交代人格というか、脳内人格が自分の心を本当に殺しにくるような形で侵攻していくことがあったのかもしれないです。
あまりこうしたことは人には言えないことだと思うのですが、そうした何らかの異様な事態が自分に生じていた可能性はあると思います。
人には表/裏があるケースがある。それで今は自分はほとんど裏の状態だと思っています。裏なので、本音に近いです。
『トランスジェンダー入門』という本を読んでいます。
そこで取り上げられていてほっとしたのが、トランスジェンダーかつ同性愛者のケースです。つまり、生まれが女性だとしたら、心の性は男性でかつ男性を好きになるというケースです。
このケースだと生まれが女性なので、私は何かあっても異性愛者なのかと思うということです。
ただ、そうではなく、このケースはトランスジェンダーかつ同性愛者のケースです。
トランスジェンダーかつ異性愛者のケースは、生まれが女性でかつ、心の性が男性で好きになるのが女性というケースです。
このなかで、トランスジェンダーかつ同性愛者のケース、自分にもこれは当てはまるように思います。
昔、大学院の先生に私には「心の声」と「頭の声」があるということを相談していました。
この「心の声」と「頭の声」があるというケースは、私にとってはおそらく「心の声」は本当の意識なのだろうけど、「頭の声」はいわゆる仮の意識のようなもの、仮に構成されたパーソナリティのようなものだと思います。
内在性解離については次のページがありました。
この図にあるようなことが起こっているのではないかと思います。
なので、私自身、すべてのケースにおいてありのままの自分で行くわけではないし、いわゆる作った自分で、人工的な男性のケースで答えるケースもあるかと思うのですが、その場合、どうしても「表」の自分というラベルがつきまとうことになります。
そして、この私はその「表」に対する「裏」の私です。
私は「裏」の私を大事にしたいという気持ちもあります。
脳内人格の影響で構成されたパーソナリティは、私はまるで私が松岡修造の別人格をインストールしているかのようなことになり、実際には私はFF12のあるキャラのなりきりを中高時代していたということもあり、その某ゲームキャラと近いキャラでずっと人に対してきたということになります。
そんなことはない場面もあると思うのですが。ただ私は文章を書く時、大学に入学してから文章を書く時、なぜか上手く書けない自分がいるということに気づき、そこで文体などが大幅に変わって、分かりやすい短文の構成で書こうとしていたことに気づきました。高校の卒業文集はまったくそんなことなかったのに。
私のnoteも「裏」の自分で書くようになってきています。「裏」の自分だから、感じていることも書ける。ここでは「裏」なので、本当には自分の「表」を知っている人からすれば異質な自分になるのかもしれないけど、脳内人格の影響で自分の行動が歪んでいたのであったとしたら、別人格を(おそらく複数?)インストールする前の自分を、その自分の言葉を書けるのではないかという淡い期待もあり、言葉を書き留めることができるのではと思い、noteに書き残すことにしました。
とにかく『トランスジェンダー入門』を最後まで読んでみることにします。