アキのエッセイNo.85ー改めて自己紹介「OTを2回辞めてPSWを目指すまで」
こんにちは、アキです。
作業療法士(以下、OT)を2度目
辞職してから
「OT復帰しました!」と高らかに
復帰への期待を綴っていた固定記事を
外してしまって以降
固定記事を書いていなかったので
自己紹介文を新たに書こうと思いました。
興味のある方は是非お読み下さいませ。
(ちなみに、OT復帰について書かれた、元固定記事はこれです↓)
1.OTを目指して大学に進学し、実習で挫折
私は医療職であるOTを目指して
医療系の大学に進学し
必死に学業やバイト、サークルに励み
それなりに大学生活を楽しんでいました。
それが崩れ始めたのが
「実習」ですね。
私は生来コミュニケーション力が高いわけではなく
ASD(自閉症スペクトラム症候群)の診断も受けており
相手の指示や状況理解が困難な面がありました。
そのせいもあってか
実習が上手くいきませんでした。
状況や指導者さんの指示が理解しにくかったのもあるのでしょうが
精神疾患(統合失調症)やASDについて
予め実習先に告知してしまったせいもあるのか
指導者さんや周りのスタッフさんからの
偏見や差別、いじめを受けました。
飛躍して表現しているわけではありません。
指導者さんの指導は当然厳しいものであるとは
認識してはいましたが
何に対しても否定的な態度を取られ
人格を否定されたり
「だから貴女はダメなんだ」的なことを言われたり
言い出したら切りがありませんが
不当な扱いを受けました。
その全ての原因を障害のせいにしたら
違うのでしょうが
その実習での挫折を経験し
OTとしてやっていく自信を喪失しました。
2.OTとして病院に就職するも3ヶ月で辞職
本当は退学したかったのですが
母親が「資格取得して大学卒業しなければ許さない」的な態度を取ってきたので
しぶしぶ国家試験を受験し
資格を取得。
大学も卒業しました。
親に受け流される人生ほど惨めなものはありませんが
今は、大学を卒業して良かったと感じています。
そのおかげで、精神保健福祉士(以下、PSW)の通信制の専門学校に
受講する資格が得られたのですから(それについては以下の文で書きます)。
周りに流されるまま
急性期病院のOTとして就職しましたが
3ヶ月で辞職しました。
業務について行けない
周囲(特に患者様)とのコミュニケーションが苦しくなったというのも
ありますが
一番は
「OTとしてやっていく自信がない」というのが大きかったです。
3.就労移行支援事業所に通所、障害者雇用での老健清掃パートへ転職
辞職してすぐに
就労移行支援事業所への通所がスタートしました。
就労移行支援事業所とは
障害を追った人が
一般就労を目指すために
職業訓練を受けるとことです(ざっくりですが)。
主に精神障害の方が9割でしょうか。
私は精神疾患、発達障害があり
障害者手帳も所持していたので
OT辞職前から事業所にコンタクトを取り
見学の末
契約を結び
辞職してすぐに通所を開始しました。
そこでの生活は
とても良かったです。
何より
同じような境遇の人達が
活き活きと過ごしているのを見て
自然と私も元気になりましたし
また
お互いを受け入れ合い
認め合ってくれる方々でしたので
その空間に溶け込むことで
自然と自己肯定感や自信が回復していきました。
そして
事業所のスタッフの方々も
本当に良い人達で
私の特性や苦手なことも
批判せずに受け入れてくれて
一緒に
生活や就労のことについて
親身になって考えてくれました。
通所から9ヶ月経過して
事業所の紹介で
とある老健の施設内清掃のパートとして
転職しました。
障害者雇用担当の事務の方ならび導係の方は
私の疾患に対する偏見なく
私個人として見て下さり
また
無理をしてないか?など
お気遣い下さり
とても良くしてくれました。
他の従業員の方々
利用者様も
みんな良い方達も良い方達で
すぐにその職場に慣れました。
事業所での生活や
障害者雇用での転職が
自分を受け入れるきっかけになってくれたのです。
4.2回目のOT復帰を志して
ただ
清掃業務は単調なルーティン作業ですから
マンネリ化がネックでした。
ですから
転職して1年後には
別の職場への転職を考えました。
出来れば
障害者雇用ではなく
一般雇用で!
そのために
日商簿記など
色んな資格を勉強して取得しました。
しかし
何だかしっくりこなくて
何の仕事に就きたいのか?
悶々と考える日々を過ごしていました。
色々と考えて
やっぱり自分は
人を支え助ける仕事がしたい!と思い至り
OT復帰を志しました。
何がやりたいか?
障害者の就労関係に興味がある
→まずは大学の恩師で就労関係に力を入れている方にコンタクトを取ろう!
と思い立って
大学に連絡を取ったところ
その先生は
なんと
無期限の休暇を取っていたため
連絡着かず!
仕方なく
ゼミ担当だった教授に連絡し
OT復帰について相談したところ
その先生と関わりのある
地域リハ施設にてボランティアをやらせていただけることに!
そのご縁に感謝して
昨年の2月か3月から開始して
週1回のペースで参加し
OTの教材やレポートデータ等の見直し、復習を習慣的に行ない
転職活動も地道に行って
昨年の11月頃だったと思いますが
見事採用決定!
私は有頂天になりました。
今年の3月に老健を退職し
4月から
急性期、回復期のある
転職先の病院に勤めることに。
これでハッピーエンド
には
ならなかったのです・・・。
5.OT復帰して2ヶ月で辞職
トントン拍子に行かなかった私の人生が
ようやく拓けるようになった!
と
何の疑いもなく思っていた私でした。
しかし
人生はそんなに甘くはありませんでした。
初めは
やる気満々で研修に臨み
それなりに充実した日々を過ごしていたと思います。
しかし
だんだんとメンタルが落ちていったのです。
何がダメだったのかというと
そもそも自分は
「身体障害や、そのリハビリについて
そんなに興味が無い」と気付いてしまったのです。
特に
関節などの運動器についての勉強会
本当に苦痛でした。
ブランクもあって
技術知識面での不足があるため
しっかり勉強しないと!という気持ちは
初めのうちはありました。
しかし
どんどんやる気が失せていって
あんなに勉強好きだったのに
テキストを開くのも苦痛になりました。
患者様とのコミュニケーションでは
そんなに悩んではいませんでしたが
色んな症状の患者様がいらっしゃるので
一人一人の症状に合わせた対応を考えて行うのが
本当に大変で
ああしなきゃ!
こうしなきゃ!と
色々作戦を練っていく内に
メンタルが弱っていったのです。
気が付けば
退職代行サービスのサイトに申し込み
即日で退職していました。
6.再び元の老健清掃パートに復帰
今は
元々働いていた老健清掃パートに復帰して
元の生活に戻りました。
その時の事務長(今は退職)さんに連絡を取ったところ
復帰を歓迎してくれたので
面接を受けて1週間で
復帰しました。
当初は周囲の方々から驚かれましたが
(周囲に「OT復帰します!」と吹聴していたので、そりゃそうです)
「良かった!また施設がきれいになる!」と
喜ばれました。
それだけ私の腕を見込まれていたと思うと
私も嬉しい限りです。
しかし
2回もOTを辞職したショックが強く
「このままこの施設で掃除して終わりか・・・」と思うと
絶望感しかありませんでした(施設には悪いですが)。
7.自分が本当にやりたいこと、PSWを目指して
このままじゃダメだ!と思い立ち
再度自分の心に問いかけました。
そもそも私がやりたかったことは何か?
そこで思い出したのが
障害者の就労に関わりたいという思いです。
その想いから
就労に力を入れている先生にコンタクトを取ろうとし
出来なかったため
仕方なくゼミ担当の教授にコンタクトを取り
身体障害系のOTを目指して・・・
その
「仕方なく身体障害系のOTを目指して」で
私は判断を誤っていたのです。
私の興味があること、やりたいことは
身体障害系のリハではなく
就労
主に私のような
精神疾患を持った方々の就労支援だったのだと
改めて気付かされました。
本当にやりたいことに嘘をついて
妥協をしてはならないと
この経験から学びを得ましたが
そもそも
支援においてリハにこだわる必要も無いのです。
支援の方法としてリハを学んできましたが
機能や生活スキルが向上しても
結果として相手が幸せになるのか?
その保障もありません。
私が興味があるのは
どちらかというと
家族などの人間関係や
福祉サービスなどの周囲環境を調節したり
生活や仕事の相談に乗るなど
社会福祉士や
精神保健福祉士(PSW)の業務だと
色々調べていて気付きました。
機能やスキルが向上しても
障害を負った人は
一人で自立していくことが難しくなります。
その場合
家族などの他者の手を借りたり
福祉サービスを利用したり
何らかの助けを得た方が
当事者にとっても
ご家族様にとっても
良かったりします。
というより
助けを得られるよう
調整しなければ
生きていけないのです。
リハの職に就いたら
「家族指導」に力を入れたいと思っていましたが
リハにおいてそれを重点的に行うのは
結構難しいと感じていました。
というのも
ご家族様の都合もありますし
訪問であれば可能かもしれませんが
病院だとどうしても
患者様の機能、生活訓練中心になってしまうからです。
今は耐え忍んで
病院でのOT業務に携わるという手段もありましたが
そこまでメンタルを維持することが出来ませんでした。
メンタルを病んでまでリハに従事することはない。
自分が心からやりたいことを、思う存分やって、理想を叶えれば良い。
私のやりたいことは?
再度、深くまで自問しました。
精神障害者の方の支援。
しかし
それはリハビリではなく
人的及び周囲環境(福祉サービスなど)の調節や
生活や社会生活の相談業務。
ならば
PSWだ!と
答えを見つけました。
そして
病院のPSWというよりは
障害者福祉サービス系の支援員で
私がかつて通っていた
就労移行支援事業所や
大学時代にボランティアに行っていた
作業所(就労継続支援B型)などの
「就労関係」の仕事に携わりたい。
その気持ちを尊重して
・毎日、PSWのテキストや一問一答の学習に取り組む
・PSWの勉強が出来る通信制の専門学校への受講を来年から開始
→「4年生大学卒業」が受講条件だったので
卒業して本当に良かったです
・大学時代にお世話になった作業所でのボランティアを月2回実施
を行うことで
夢を実現していこうと思います。
今のところは
就労継続支援B型の支援員(就労のみならず生活支援も出来るところから、リハの知識が活かせると思いまして)に一番興味がありますが
スクールソーシャルカウンセラーもいいなぁと思っています。
なるには
研修を受けなければなりませんが。
まぁ
色々やってみて
決めて
挑戦していきたいと思います。
長文になってしまいましたが
ここまでお読み下さった方
本当にありがとうございました(^^)/