■ 竹宮アンチ「増山さんは原作者。竹宮さんは絵だけ描いていた」
私がnoteのネタ漁場にしている5chの大泉スレに、
こういうレスが投稿されていました。
漫画のテーマをどのようにするか、大体の構想をまとめたものが「プロット」です。そして、物語にどのようなエピソードを入れるのか、起承転結を考えながら話の大筋を作っていく作業のことを「シノプシス」と呼びます。
漫画は、このシノプシスを元にして詳細なシナリオを書いていきます。
増山さんは、『ファラオの墓』のプロットとシノプシスの途中までは考えてくれましたが、その続きとシナリオとネームは竹宮さんが考えました。
増山さんが全て考えてくれたわけではありません。
竹宮さんは『少年の名はジルベール(以降『ジル本』)』で「増山さんはアイデアの提供者」と書いています。
ただ、大泉スレのアンチのように「増山さんはストーリー作りの主導を担っていた」「ストーリーを作って提供していた」「竹宮さんは増山さんに完全に依存していた」というと、何も事情を知らない一般の人は「増山さんは竹宮漫画のストーリー制作全般を担当していた」「竹宮さんは絵だけ描いていた」と受け取ります。
ではなぜ、竹宮アンチの萩尾信者は、その説にこだわるのでしょうか?
順を追って説明していきます。
■ 『ファラオの墓』の場合
竹宮さんは原作者について、次のように書いています。
構成上のアイデア出しというのは、冒頭で引用した5chのレスで「貴種流離譚で行こう」「悲恋を入れよう。ロミジュリがいい」「最初は王家をつぶされた側の少年の話を描いていくわけだけど、この二人が王様として立っていく状況を描いて、ゆくゆくはふたりの戦いを描く」などと箇条書きされている部分が、それに該当します。
■ 増山さんの完全原作『変奏曲』の場合
では、竹宮さんがジル本で「増山さんの完全原作だった」と書いた『変奏曲』はどうだったのでしょうか。
漫画版の『変奏曲』シリーズは1974年9月に発表。小説版の『ヴィレンツ物語』は1988年3月に出版されていて、この2冊を比べてみると分かると思いましたが、私は『ヴィレンツ物語』をまだ読んでいないので、読んだ人の感想が書かれたレスを引用します。
原作の『ヴィレンツ物語』には『変奏曲』にあった同性愛シーンがないそうです。竹宮さんがジル本で増山さんによる完全原作だと言った『変奏曲』シリーズですら、竹宮さん好みの要素が付加されていたわけです。
アンチがいうように、「竹宮さんが増山さんの原作を作画方面で完全にトレースしていた」というのは嘘だということが分かります。
■ 竹宮さんの株が下がれば、萩尾さんの株が上がる
萩尾信者の竹宮アンチは『竹宮さんの株が下がれば萩尾さんの株が上がる』と考えている節があります。おそらく、彼らは竹宮さんが萩尾さんのイメージを悪くしていると考えていたのでしょう。
5chの20年位前からの萩尾スレや竹宮スレの過去ログを読むと、しばしば、そういうレスを散見します。そして、『一度きり大泉の話』の出版で、それが弾けました。
『竹宮さんの漫画は全て増山さんが原作を書いていた』という説は、ジル本に書かれていたとおりの『原作者付きの漫画家は格が下がる』という昔の人の発想に沿った考えです。アンチもその当時からの人が多いらしく、この説に頑強にこだわり、強弁を続けています。
『竹宮さんの株が下がれば、萩尾さんの株が上がる』と考え、ネットでの印象操作に骨を折る。これが、萩尾信者の竹宮アンチと呼ばれる所以です。