宗教学_Nekeutsch2024後半6_20241018_クルアーン読解「雌牛」の章

前回までの下地づくりで、イスラームとクルアーンに関する誤解が解除されたものと考えました。今回から、虚心にクルアーン(日本語読解)を読む回にしたいです〜。最初の「開端」の章と、内容上の第一章といえそうな「第二スーラ〔章〕〈雌牛〉」を読んでいきます。文を見ないと話が追えませんので、以前に挙げた 東京ジャーミイ のサイト(そこの出版物のタグ)から、「クルアーン 日本語読解」を探して参照してもらうのがよいでしょう(そこに載っている各章の先頭の解説と、章末尾の注も理解の助けになります)。[↓ 出版物のページ]
https://tokyocamii.org/publications/

この章(雌牛)は、自分たち(ムスリム)に先行して啓示が下った民としてのユダヤ人に呼びかけるものです。趣旨としては、ユダヤに下った啓示をユダヤ人自身が忘れて(内容を改竄してそこから離反して)いないか、と諭して本道に導き戻す、というようなことです。アッラーは「神」と読む方が理解が容易になり、それがユダヤの神と同じものであることがわかります。また「ムスリム(世に言う イスラ〜ム教徒)」は、ユダヤ人も含んだ「神に帰依するもの」を指すと考えるのがよいでしょう。「ムスリムでない者」は、神を下に見て、神を人間の欲望の道具にしてしまうもの、神よりも自分を優先するもの、と考えるとすっきりするかもです。いずれにしても、虚心に読むと、イスラームが排他的でも独善的でも闘争的でもなく謙虚な教えであることがわかるはずです。そもそもムハンマドの最初の時代では、少数(自分の家族)から クルアーンの教えを説くことから始めたのであり、力をもってすれば容易に滅ぼされる立場にあったため、全ては(武力でなく)言葉による説得だけをもって世に広まったものです。どうしても、その後の拡大したイスラーム勢力を念頭においてしまうため、力ずくの布教のようなイメージ(虚像)が先行しそうでしょうが、まずは、教典そのものを地道に読みたいところです。—— とはいえ、何を言っているか(そもそも「雌牛」とは?)わかりにくいこともあるので、解説が必要で、それを当講義で行っています。しばしお付き合いを…。

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ネコイッチュ
ありがたしです。がんばりますですにゃ。