宗教学講義2024後半 第二回分 文字掲示

9/27(2)の分
(前回分と同じく 学生向けの掲示〔主として課題文〕を載せてみます)
本日分で見たことの列挙:
方針再確認 イスラ〜ムの原義と西ヨ〜ロッパの進展の二面
イスラ〜ム 誤解の解消 
イスラ〜ムという語(およびムスリム) 
ジャ〜ヒリ〜ヤ無明時代
同胞 生き延びる 他者の排撃ではない 「アッラ〜の神」ではない
アッラーの文字を用いず、単に「神」と読むのがよい 
キリスト(救世主)ではなく、イエスを預言者として尊重す
ユダヤとイスラ〜ムの近さについて

本日は予定とは異なってイスラ〜ムに専心したのだが、もう半面の出来事、すなわち西ヨ〜ロッパの推移に関して見ていかねばならない。
ということで今回は 課題としては簡明で〈公表済みの資料 デマルカシオンを読んで何でもよいので書いてみる〜〉というお題。
いろいろと面白い論点も各自で見いだせると思うので、自由な視点で作文のこと〜。

以下も一応 読んでおいてもらいたし

特定の視点が見いだせない場合には、以下の点にても注目するか…
・日本では戦国時代から江戸幕府へと推移する時代に、ポルトガルおよびスペイン(これらは成立して間もない国とも言えるのだが)が日本に渡来して急速に海外事情が変転することはすでにいろいろと知っているはず。その時代を到来する西ヨ〜ロッパの側から見る機会はあまりなさそうだが、あちらの思わく(わく は大和言葉であるから 平かな表記とする)からすれば、これはどのような事態であったのか、という複眼的な観点で見るとこの時代は一挙に複雑なものとなる。
・そこにあるとおり、日本(マルコ ポ〜ロらの噂などを通じてすでに西ヨ〜ロッパに知られていた)は、デマルカシオン的にはポルトガルの「領土」とみなされている。さまざまな事情から、本国による制圧はなされなかったが、これ以後、(他の諸地域と並んで)日本は、いずれ何処かの列強の一つの「領土」となるのだが、誰のものになるのかをめぐって、その後において増えたプレ〜ヤ〜の間で、明治になるまでずっと領土的野心の格好の対象となってきたと言える。
(この流れの中で、アフガニスタンなどはかろうじて防御に成功した希有な国で、大国ペルシャなど、大半の地は崩落した。)
(この件は、いずれ見ることになる「グレ〜トゲ〜ム」の名の下で繰り広げられる覇権争いの一区画でもある。)
・グロ〜バル とは何かよい話のように現在において喧伝されているのだが、その実西ヨ〜ロッパ的には、この語は、誰がどこを略取するかという観点における勢力図のような意味が濃厚に染みついておる。平和的共存とは対極の思想であり、優位に立つものが簒奪することを正当化する議論が、西ヨ〜ロッパを中心にして急速に整備されることになる。このことは現在でも変更はなく、現にグロ〜バルを口にするプレ〜ヤ〜は、簒奪者の側に立つことを基準にして考えている。これまでのどの区分においても、「簒奪が生じることないグロ〜バル」とは存立し得ていないように見える。
・書かれているとおり、(現民法典にあるような)「無主物先占」のようなことが打ち出されている。しかも人が住む土地を「発見した」ことをもって先占する権能が生じるような話になっている。これを考えると、「コロンブスによるアメリカの発見」というフレ〜ズで、われわれ(日本人の高校生など)は無邪気にこの言葉を肯定しているが、発見によって、その地に住む者どもも込みにして発見者の手に帰する、という暴力的な事態が成立しているのがその実情である。驚くべきことでもある。曩に(さきに)見たように、日本はすでに「発見」されていた故に、まずは特定の国の手に落ちることがなかった。セ〜フ。とはいえ、仔細に見ると、多種多様な大名が、多種多様な対応をしていることも分かる。いくつかの偶然と、いくつかの意志により、植民地化しなかったと、まずは見るべきであろうか…。
ここには記されていないが、ポルトガルが(今でいう)ブラジルで、またスペインがインカその他(アステカ)で為したことは まさに苛烈極まることであるのは周知のことであろう〜。が、そこに権利があるとするところに、当時および今に連なる西ヨ〜ロッパ的法体系があることを考えるとよいかも。その法と、キリスト教の思想とが、どの点で符合するのか、これは大きなテ〜マであるが、各自で考えるとよい。その点で、グロティウス(あるいはカント)の掣肘的な見解は、少しばかりの清涼剤ともなる。
・この後の(グラナダ〔ナスル朝〕陥落の後の)スペイン(内実的にはカスティーリャとアラゴン)が一定の富と力とを持ちえたことは、実際には、イスラ〜ムの高度な文化(トレド、コルドバなどいくつもの拠点がある)とその遺産によるものであることを考え合わせる必要もある。西ヨ〜ロッパが(ビザンツ帝国など)さまざまな遺産的なものを用いずに世界史の中央に躍り出たと考えるのは早計である。

(以下はメモとして掲示したものです)

私掠船(仏 corsaire/英 privateer) 私掠免許(Lettre of Marque)
『海賊大全』、D・コーディングリ著(2000、東洋書林刊)

西和辞典では デマルカシオン
de·mar·ca·ción[de.mar.ka.θjón; đe.-/-.sjón][音声]
1 境界画定,線引き;区画.
línea de demarcación
境界線.
2 法 管轄区域,管内.
3 スポ 守備範囲.
4 [D-]史 (教皇)分界線,教皇子午線.
◆教皇アレクサンデル Alejandro6世が1493年,Verde 岬諸島と Azores 諸島の西100レグアの地点に引いた分界線.その東側をポルトガルの,西側をスペインの独占航海域と設定した.この分界線は1494年,トルデシリャス条約で Verde 岬諸島の西370legua へ移動したため,ブラジルがポルトガル領になった.

marcaはマ〜ク(英)と同じで 印/刻印 
marqueは略奪の許可の印し

余論 
「マンガワン(アプリ)」で、漫画「チ。」(かつてビッグコミック・スピリッツ連載)
を今月中旬まで全話無料開放なのでまとめて読むがよい(10/6開始〔NH協会〕のアニメ放送に合わせた企画)。15世紀の話であることから、当講義とリンクするため推奨す。(無料開放は終わっています)

別課題 選択可

デマルカシオンは長文で大変であるから、もう一つの課題は軽めとなり、横書きのキリスト教4 プロテスタント」の箇所を読んで理解して、何か書いてみるというもの。

提出必須ではないが、軽めでよいので、イギリス(イングランド)の事情を調べること。実はこちらの方が大事な話かも…。詳しく考えたり調べたりした場合には、こちらで提出してもよい。

本日の話で、エリザベスが、海賊キャプテンのドレイクに私掠許可証を与えたとあったが、このエリザベス女王は「ヘンリー八世」の子女である。このヘンリー八世について調べて理解すること。(エリザベス一世も格別に大事なのであるが、まずはヘンリー八世を知らねばならないので、この課題となる。)

ヘンリー八世には六人の妻がおる、という話を調べて理解する。このため離婚(複数回)と相成るのであるが、このことからして「カトリック教会から破門」の仕儀になる。

これに呼応して、1530年代に、カトリックから離脱した新たな形態のキリスト教国にインギリース(普通にいうとイギリス)は変様することになる。ときは宗教改革の時期である。だが、ルターに接近したというのでもない。このようなイングランドでの宗教改革、というか、カトリックからの離脱のあたり(いちおうこれも「宗教改革」として語られる)これを理解しておくこと。きわめて独自な路線である。

このことからして、「イングランド国教会(イギリス国教会)」(1534-今に至る)が成立するので、これに関しても調べる必要がある。

後々後には「ピューリタン革命」などの事跡へと繋がるのであるが、当初のヘンリー八世の段階では、決してプロテスタントを目指すというものではなかった(むしろ真逆とも言えるか…)。しかしながら、いろいろと数奇な運命が重なり、今に至る。このあたりの事情を、可能な範囲で知っておくとよい。とりわけ英国に留学するなどを考えている場合にはなおさら〜。 プロテスタント諸派にも内部的には大きな違いがある。そしてこのピューリタン的プロテスタントは、そのままに、減災のアメリカと同じかというと、屋はそうでもない。

余論。アイルランドとイングランド〜
もちろんのことであるが、このような経路での「プロテスタント国家」と、生粋の古株の(サクソン人/ザクセンが進出しなかった地である)「アイルランド」とは、宗教的な風土がまったく異なる。にもかかわらず、現在のUKは、アイルランド/ヱールズ/スコットランド/イングランドの連合国家(武力による統一だが)のであるから、複雑な内部事情を抱え続けていることも、併せて理解しておくこと。イングランドに対する諸国(諸地方)のそれぞれの思いは、これから時間をかけて理解するとよい。

なお、哲学史で、カンタベリーのアンセルムス(神の存在証明ということを初めておこなった人)は、もともと英国人ではないがカンタベリーに赴任す。また哲学史で扱われる「ドゥンス・スコトゥス」(スコットランドのドゥン)は、トマス・アクィナスの後を受ける時代の人であり、たしかにスコットランドの出身。だがその後は大陸(パリなど)で活動すり~。

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ネコイッチュ
ありがたしです。がんばりますですにゃ。