「ここにおさるがいます」 京都 幸神社
今回は、鬼門を守る猿がいる「幸神社」について書きます。
まずはこの「幸神社」の読み方…
わかりますか⁉︎
私は最初「さいわいじんじゃ」と勝手に呼んでいました。
だって、普通それっぽいじゃないですか?
でもね、違うんです。
正解は…
「さいのかみのやしろ」
と読みます。
うん、全然違った‼︎(笑)
では、これを覚えたところで「幸神社(さいのかみのやしろ)」の
始まり始まり~。
場所は上京区にあり、近くには「出町桝形商店街」があります。
出町桝形商店街の西側出入口を出て右に曲がり、少し北へ向かっていくと、右手にこちらが立っています。
ここを左に進んでいくと、
こんな風景になります。
そしてよく見ると、右側にひっそりと登場。
(お、こんなところに」という穴場感。
まずは説明書きを。
ふむふむ…え?
ここって平安時代から既にあるんだ‼︎
「遠く神代に始まり、天武天皇の白鳳元年に御再興され、平安京創建時桓武天皇により、皇都の東北の鬼門除け守護神として御造営されました。」と、あります。
御祭神は猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)で、こちらは「導きの神・交通の神」として有名です。
ここで気になったのが、「平安京造営時には社名を出雲路道祖神と云い…」という文章のところ。
そういえば、入り口にこんなものがありました。
「皇城鬼門除 出雲路幸神社」の石碑。
どうやら、もともとは「出雲路道祖神」だったのが、江戸時代のはじめに現在の地に移した際に「幸神社」と改めたそう。(もともとはどこにあったんだろ?)
とにかく、場所も社名も現在のとは違ったんですねぇ。
場所については、こちらは鬼門除けの為、御所が移転するごとに祀られる場所を変えたりなどしていたのでしょうか?詳細はわかりませんが。
しかも「出雲路」って?
京都に出雲氏とかいたの?
調べてみると、「出雲氏族」は古くから京都に住みついていたそうで、この辺りに居住していた出雲氏が氏神を祀ったのが始まりではないか、ともいわれているそう。
そこからきているのかはわかりませんが、確かに現在賀茂川のすぐ西側には「出雲路神楽町」「出雲路俵町」「出雲路立テ本町」などの名前があります。
つまり、出雲路というのは京都の地名ということなんでしょうかね?
ちなみに「出雲路道祖神」のこの「道祖神」とは、ご利益は多彩にあるそうですが、「道を守る=交通安全」や「町などの集落に邪気や悪霊が入るのを防ぐ」といわれているとか。
道祖神と主祭神である猿田彦大神については、同視されて祀られることが多いみたいです。
ではご挨拶をしましょう。
ご挨拶をした後は周りをぐるり。
こちらは摂社。
その摂社と拝殿の間を通ると、
「石神さん」と書いてありました。
御神体はこの石で、「猿田彦神石」というそうですが、「おせきさん」とも呼ばれています。
こちらは、拝むと「縁結びの御利益」があるとのこと。
ただし‼︎
「触れると祟りがある」という言い伝えも…
まぁ、直接触れることができないようにちゃんと囲いがされていますが。
でも、そんな事を聞くとちょっと怖いですよね。
この石の鳥居ですが、少し傾いていました。
なんで?と思いよく見ると、鳥居の下の所が片方だけヒビが入っているように見えました。
こちらは横から見たもの。
倒れないかな…大丈夫かな。
そして、その石神さんの反対側にこの可愛らしい「説明書き」が‼︎
「ここに↑おさるがいます」
この説明書きの通りにそのまま上を覗くと、そこに祀られているのは…
そう‼︎‼︎
烏帽子を被った御幣を持つ猿が登場〜。
こちらが鬼門を守っている守護神の「神猿(まさる)」なんですね。
しかも、ちゃんと北東の方角を向いている‼︎
この格好がなんとも言えずいいですね。
こちらを見た後は、このまま拝殿を一周できそうだったので、後ろの方も回ってみました。歩きやすいように、ちゃんと石が敷き詰められています。
裏はこんな感じ。
裏から表へ戻る道。
こちらの社務所はお家みたいな感じでした。
はい、一周回ってきました。
こちら手水舎です。
ちなみにこちらの手水舎には水がありませんでした。
初めて幸神社に来たのは申年の時でしたが、やはりここの「神猿」は何度見てもいいなぁと思います。
また、古くからある神社としての存在感なのか、とても落ち着いた雰囲気がして良かったです。
こんな素敵な守護神が鬼門を守ってくれていると思うと、「見る価値あり」ではないでしょうか。
ではまた。