「離宮に憧れてみる」 京都 大覚寺(前編)
今日は京都市右京区嵯峨にある「大覚寺」をご紹介。
正式名所は「旧嵯峨御所大本山大覚寺門跡」です。
別名「嵯峨御所」とも呼ばれます。
そう、こちらは門跡寺院なのです。
門跡寺院とは、皇室一門や公家が出家して住職を務める特定の寺院のことをいい、古くより皇室と関わりのある格式高い寺院とされています。
(明治時代初頭まで代々天皇もしくは皇統の方が住職を務めておられました)
まずは入り口の「大門」から。
平安時代、嵯峨天皇が皇后との新居として造営した「離宮嵯峨院」が大覚寺の前身なんですね。
建立されてから、なんと1200年以上経つそうです。
入り口から既に広々としていて、とっても気持ちがいい‼
左の場所で受付してから入ります。
こちら「宸殿の廊下」
右を向くと「勅使門」があります。
そして、写真右にあるのが「右近の橘」奥にあるのが「左近の梅」です。
やっぱり白砂っていいですね。
そういえば、なんで日本のお寺には白砂を敷いているところが多いんでしょうか?
調べてみると、これには様々ないきさつがあるみたいです…
「最初に庭に白砂を敷いたのは平安京の宮廷とされ、もともとは水はけを良くするために敷いていた。やがて身分の高い人が通行する際に通りを清めるという意味が付け足されるようになり、このことがその後お寺に継承されるようになる。
当時は敷きっぱなしではなく門の傍らに白砂を盛っておき、身分の高い人が来たときだけ、門から本殿までの間に白砂を敷くというものだった。
そしてその後、その都度敷くというスタイルから敷きっぱなしスタイルに変わっていった。」
簡単な説明になってしまいましたが、その時代の社会情勢やお寺の事情など、実はもっと色んな理由もあるみたいです。
でも、もともとは時々敷くようなものだったんですね。
知らなかったなぁ。
勅使門の屋根の部分は、正面および背面に、軒先の身を丸く持ち上げたかたちの「軒唐破風(のきからはふ)」を付けているそうです。
こちら廊下・広縁。
廊下・広縁はすべて鴬張りとなっているそう。
宸殿から見えるのが、
・「五大堂」(下写真右)
・「安井堂」(下写真中央)
・「心経前殿」(下写真左)
諸堂を結ぶこの回廊は「村雨の廊下」と呼ばれているそうです。
縦の柱を雨、直角に折れ曲がっている回廊を稲光にたとえ、「村雨の廊下」と呼ばれています。
天井は、刀や槍を振り上げられないよう低く造られているとのこと。
こちらも宸殿と同じく床は鴬張りになっており、実際に歩くと確かに「きゅっきゅっ」というような音がしました‼︎
その音が面白くて好きだったので、実は…この時動画まで撮りました‼
変な趣味ですね(笑)
こんなすごい襖絵もあり。
後編は、広い大覚寺をもう少し掘り下げてみたいと思います。
つづく。