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中国語小説の翻訳教室――神の代弁者になるために(『永不瞑目』1−7章)

 作家にとっても翻訳家にとっても、書き出しは最も難しい部分です。作家は書き出しに工夫し、読者を小説の世界に引きずりこもうと趣向を凝らします。翻訳家の場合は、まず作家の文体に慣れ、それに最もふさわしい日本語で訳出する感覚をつかむ必要があります。いわばイタコの口寄せのようなもので、憑依は苦しく、時間がかかります。それでは少し長いですが、『永不瞑目』の書き出しを翻訳していきましょう。

【原文】

    谁都知道胡同※1和四合院是北京的象征,可欧庆春虽然生在京城,却一直被那种鸽笼式的单元房圈到了二十多岁,从没住过一天胡同。单从这一点看,她的北京人的生活,也显得不那么正宗。她本质上其实是一个从父亲那辈才迁进来的外地移民※2

    算上今天,她在这个招待所的阁楼上已呆了四天。透过这里的窗口,她第一次这样长久地,专注地凝视着※4一条典型的北京胡同,和在这胡同里※3来来往往的老北京人。和其他胡同不同的是,在鳞次栉比的传统四合院和它的破坏性变型※5——大杂院的夹缝中,这里居然还挤着一栋两层的老式西洋楼。那西洋楼※6斑驳的外观看上去像有上百年的历史,大概也是西方列强当年趾高气扬的一个物证。但现在,它以同样的陈旧,协调着周围低矮的平房那波浪般层层铺展的灰色房顶,竟※7使人感到一种建筑群落样式的丰富与色调的和谐。

【和訳】

 胡同※1と四合院(訳注:中央に庭を囲んだ四棟からなる旧式の家)が北京のシンボルであることは誰もが知っている。だが欧慶春は北京に生まれながら、ハト小屋のようなアパートに二十代になるまで閉じこめられて、胡同沿いに住んだことは一日もない。これだけでも、彼女の暮らしはあまり北京人らしくない。実際のところは、父の代になって越してきた移住者なのだ※2

 この旅館の屋根裏部屋に詰めてから、今日でもう四日になる。ここの窓から、彼女は初めて典型的な北京の胡同と、そこを※3行き来する生粋の北京人をじっくり見つめている※4。他の胡同と違うのは、ずらりと並んだ伝統的な四合院とその劣化版※5、大雑院(訳注:四合院に幾世帯も住んでいる住宅)の間に、意外にも二階建ての古い洋館が挟まれていることだ。(その洋館の)※6まだら模様の外観は百年以上の歴史を有するかに見え、おそらくは西欧列強が当時、意気揚々と跋扈していた名残であろう。しかし今や、それは同じような古めかしさで、周囲の低い平屋の波紋を描くように広がる灰色の屋根と溶け合い、(意外にも)※7建築群の様式の豊かさとトーンの調和を感じさせている。

※1 書き出しは読みやすさに注意。いきなり注釈ばかりでは読者も身構えるので、胡同の訳注だけ省略。

※2 直訳は「父の代になってようやく越してきた外からの移民」。「才」はなくても分かるので省略。「越してきた」のだから「外からの」も不要。「移民」は、ここでは「移住者」のこと。

※3 日本語の場合、胡同の重複がややくどいか。

※4 直訳は「長々と、集中し見つめている」。言葉足らずなので、「じっくり」に二つの意味を込める。

※5 悪い方に形を変えたということなので、劣化版のこと。やや浮ついた表現ではある。

※6 日本語では省略しても自然。

※7 「しかし」で「竟」のニュアンスが出ているので、無理に訳さない。

 ヒロインの欧慶春が、麻薬捜査で張り込みをしているシーンです。情報量が多く、しかも日本人には不慣れな風景が描写されているので、読みにくいと感じる人も多いのではないでしょうか。これには実は、特殊な理由があります。著者の海岩は小説を書く時点でドラマ化を念頭に置いているので、映像にした場合の効果を考えなければなりません。実際にドラマを見ると、洋館から怪しげな男が出てきて、捜査員たちが緊張の面持ちで張り込み、これから何かが起きるぞと期待させてくれます。欧慶春に関する描写はドラマにはないので、小説内では主要人物の紹介と、いきなり事件に移る前のクッションとして用いられていると思えます。

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