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古典臨書のさんぽ道〜自分の文字を見つけたい人編〜

書の道は人それぞれ。
人それぞれにおすすめの古典臨書作品をご紹介するシリーズです。

さて、今回が最終回です。
最後は「自分の文字を見つけたい人」へ。

かく言う私も、まだまだ自分の文字が見つけられず、この道の途上にある人間です。いつか自分が自分の文字たるものを確立できたらいいなという願いも込めて✨書いていきたいと思います。

自分の文字の確立者、相田みつをさん

身近なところで「自分の文字を確立された人」として思い出されるのは、相田みつをさん。

「にんげんだもの」の文字と言えば、誰もが「ああ、あれね」と思い出す。それは、その文字がその人の文字として確立されている証拠で、すごいことです。

相田みつをさんの文字はよく「子どもでも書けそう」などと言われますが、一度真似してみるとその筆の力が尋常でないことがよくわかります。古典臨書の積み重ねとご自身の葛藤の上に大成された芸術であると、私は感じています。

顔真卿の楷書に見る「人生と文字」

古典臨書の手本ともなる文字は、総じてその人の文字として確立されたものであることに疑いはありませんが、中でも際立っているのは顔真卿ではないでしょうか?

安史の乱という危機において皇帝に対する忠義を尽くしたことで知られる、顔真卿。数々の裏切り、愛する人たちの死に直面し、それでも自分の信じる道を突き進み、愚直が故に死んでいった彼の人生は、そのまま彼の文字に表れ出ています。

彼が44歳の時に書いたという「多宝塔碑」。こちらはすでに顔真卿らしい力強さがあるものの王羲之の書法が伺われる整然とした美しさのある楷書です。

それに比して、彼が晩年72歳で書いたという「顔氏家廟碑」。
この文字の、圧倒的な懐の深さ。たっぷりとした起筆、ゆっくりと進む穏やかな線。そして、開放感のある払い。ああ、この人は彼の人生のすべてを受け入れたんだな、ということが伝わってくる✨

書の美しさは決して技法だけではない。人生そのものが書、文字に表れ出てしまうものだということを感じずにはいられません。

自分の文字を作っていくには?

自分の文字を作っていくにはどうしたらいいのでしょう。

私が思うに、
一つには、「好きな文字をひたすら真似する」ということ。
そしてもう一つは、「自分に与えられた人生を目一杯生きる」ということ😊。

古典臨書をしていると、その時に書いている人の文字が、そのまま日常の文字にわかりやすく反映されます。私はここ数年、和様の作品の臨書が多かったので、何となく丸っこい字になってきましたが、これまでで一番自分の字が好きだったのは文徴明の臨書をしていたときかも。

とにかく、真似をすれば字が変わるのは間違いなので、「この文字好き!」と思ったら、その人の文字を真似しまくることだと思います!

そして、「自分に与えられた人生を目一杯生きる✨」。
文字にはその人そのものが表れ出ます。残念ながら、出ちゃいます💦!!

だから、部活に励む毎日も、子育てに追われる日々も、人間関係の悩みも、全部全部、乗り越えた分だけ、自分の文字が輝いていくのです✨

私はまだまだエゴだらけで、私の書く文字も、書も、まだまだエゴだらけだなーと思う😅でも、そう思えることが、きっとまた一つの成長なのだと、信じて。

人生は長い、長い長い人生をかけて、自分の文字らしいものが作れたらいいな。

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