女なら 女として
女であれば、女である以上、女として生きたい。
あらゆる性の平等が唱えられるこの時代において、「女」という言葉はそれだけで「古い」のかもしれないけれど、私は、女であることが好きだ。
最近、ポッドキャストに「ホントのコイズミさん」という番組を見つけ、聴いている。キョンキョンこと小泉今日子さんがMCの、本にまつわるゲストを呼んでのトーク番組だ。
小泉今日子さんの声は、いい。頗る色っぽく、それでいて、いやらしくなく、むしろ、男っぽい。「ユニセックスな魅力」と言ってしまえばチープで、「ユニセックスだからこその女っぽさ」みたいのが、彼女にはある。
「書は人なり」と口うるさい私だけれども、「声」も、「その人」が意図せずして表れ出てしまう、恐ろしい分身であると思っている。
どんなふうに生きてきたのか。どんなふうに人を見ているのか。どれくらい自信があるのか。云々。
小野道風の書に、数々の古典を学んできたという自負と、柔和なチャレンジ精神を見てとってうれしくなるように、
小泉今日子さんの声を聴いて、アイドルでありながらたくさんの本を読んで、考えてきた彼女の生き方そのものに、惚れてしまったりするのである。
道風のように生きたい。小泉今日子さんのように、生きたい。
自分の人生を80年と仮置きするなら、去年40歳になった私は折り返し地点にいる。人生の初秋に差し掛かったとも、言うべきか。
女なら 女としての 自負を書に 声に宿して 秋を迎えん