熊川宿でデトックス。毒素を出し切ったそのさきに。
よく電車の広告とかで見かける、"都会の喧騒から抜け出してデトックス"とかいう言葉。その意味は理解できるものの、正直なところそれを目的に行くのもどうなのかなぁ…と心のどこかで思っていた。キャンプならキャンプ、寺社仏閣なら寺社仏閣、カフェならカフェと大上段に具体的な目的があってそれを楽しむ過程で心も身体も癒されて良かった~となる方が健全なのでは、とこれまでの自分は考えていた。
でもそれは違ったみたい。僕は"デトックス"という言葉の意味するところが良く分かっていなかったのだ。
僕にそれを教えてくれたのは、福井県若狭町にある熊川宿。京都から電車とバスで2時間と日帰りでもいける距離。福井出身の友人も知らなかったというくらいマイナーだけど趣のある静かな場所。聞けば昔は鯖街道の宿場町として栄えた町らしく、今も昔ながらの街並みや風景が残っている。
熊川宿での滞在は本当に楽しかった。1泊という短い時間でも、間違いなく心も身体も"デトックス"していた。温泉に入った後のあのだらんとして、肩から力が抜けて心までぽかぽかしている様な感覚。あれが滞在中ずっと続いていた様な気がする。
滞在中はそこにある八百熊川という超素敵宿ではたらく友人に色々と案内をしてもらっていた。ちょうどマルシェ中で通りは地元の人や観光客で賑わっており、出店で名物のこんにゃくからあげや農家さんが作った焼き芋を食べたり、その過程で農家さんや水路ではしゃぐ子ども達とも遊んだりした。
ほかにも、滝や湖を見たり、温泉に行ったりした。湧き水を汲める神聖な滝で感じたマイナスイオン、5つの湖が連なる三方五湖で眺めた夕陽、露天風呂に浸かりながら聞いたおじいちゃんの若狭弁…そのどれもが豊かで心の内側から安らぎ、温まっていくような時間だった。と同時に、どれも車で30分圏内と、溢れ出る田舎感とは裏腹なそのアクセスの良さに終始驚いていた。
身体全身でそのエネルギーを吸収していたからか、代わりに頭(脳みそ)は全く動かず、湖や滝を眺めながらただひらすらにぼーーーーーっとしていた。仕事中でもぼーっとしてしまう時もあるくらいただでさえぼーっとするのが好きなのに(笑)、それが極まった感じ。いつもはぼーっとしながらも(一応)あれやこれやと考えていたりするのだけど、その時の頭は本当に真っ白で、そこには何のイメージも言葉も無かった。
写真家のヨシダナギさんもnewspicksで"朝起きてソファに座って窓の方を眺めて、気がついたら夕方になっている時がガッツポーズ"と言っていた。その感覚が分かるような気がしたし、それが本質的な豊かさというかそういう時間が人間には少しでも必要なのかもしれないと思った。(一日中、というほどの勇気はないけれど)
社会人2年目で出来ることもその分責任も大きくなってきて、12月の繁忙期も目前。確実に日ごろの疲れは溜まっていた。休日は美術館や本屋さん、カフェに行ったり友達と遊んだり休めていたつもりだったけど、頭や体までは休んでいなかったんだなと痛感した。(確かに休みの日も午前中は仕事関連の勉強して、午後から遊ぶとかしてたっけな…)
調べてみると、疲労回復のための休息には、「パッシブレスト(消極的休養)」と「アクティブレスト(積極的休養)」という、2種類のプロセスがあるらしい。簡単にいえば、ゆっくりと体を休ませるか、積極的に体を動かしてリフレッシュさせるかの違いで、どちらか一方では疲労は回復しにくいとされているとのこと。
上記に加えて、場所を変えるというのも一つ大事な要素なのかなと考える。自分の知らない場所でワクワクしたり、大きな自然の中で深呼吸したり、知り合いのいない場所で日ごろのストレスから解放されたり、、、とそこで頭や体が切り替わってより休めるモードになるのかも。少なくとも自分にはそういう休み方が合っていそうだなと思う。
そうして心も体も満たされたなら、日常に戻ったとき、自分だけでなく周りにも優しくなれる気がする。自分はというと、接客業でモノを扱ってはいるものの人相手の仕事がメインで、正直寝不足だったりつかれていたりするとお客さんやチームと向き合いきれない瞬間もある。テイクではなくギブの精神ではたらくためにも、こうして定期的にデトックスの機会は必要だよなあと改めて思った。養老孟子さんも提唱している様に、都会で生きる人達には現代の参勤交代が必要なのかもしれない。・・・と、定期的に来たいなと思える場所がまた一つ出来ました。
p.s.熊川宿は本当に素敵な所で、山も川もちょっといったら湖も海もある。自然豊かなだけでなく、寒い中一人歩いていたら「今日は冷えるねぇ」とおばあちゃんから声をかけてもらえるような人の温かさもある場所です。加えて友人のはたらく八百熊川の宿(二回目)もベストプレイスなので関西方面に御用ある方はぜひ立ち寄ってみてくださいね。