与えられる愛から、そそぐ愛に。
2021年は新店オープニング×2、憧れの京都移住、おばあとの別れ、大切な人との出会い…と、一言では言い表せないほど色んな出来事と心の動きや変化がありました。お世話になった方々、遊んでくれた友人等、見守ってくれていた方々、僕に関わってくださった全ての方々に、この場を借りて感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
やや唐突だし誰にも伝えていなかったのですが、昨年の個人テーマは「愛」でした。コロナを経て身の回りの人や場所との関わり方や見方が変わりました。ずっと変わらないものなんて無いという現実と運命を突きつけられ、その中で何を選ぶ?という重たい問いを渡された年様な感覚で、、。マザーハウスでの仕事も2年目になり、もっと仕事やお店への愛着、それから家族や友人、パートナーへの愛情を増やしたいと思い掲げたものです。
ただ一年終えてみても、未だに愛ってなんですか?と聞かれても自信を持っては答えられないし、毎日の生活の中で感じられる時もあれば、忙しさやストレスでご自愛すらままならない(言わんや他人への愛をや、な)時期だってあります。愛は増やせた!と言い切れる自信は正直ありませんが、それでも気付けたことがあります。
まだ冬の涼しさ残る3月のことでした。当時付き合いたてのパートナーと喧嘩したのですが、その時に言われたのは「君が何を考えているのか分からない」ということ。お互いの気持ちは同じで、僕はその気持ちを表現していたつもりだったけれど、それは相手に届ききっていなかったのです…。恥ずかしいという言い訳を盾に僕は伝えることをどこか躊躇していたのだと気付き、相手と向き合えていなかったのだと痛感しました。
その過程で気付いたのは、今まで僕は家族や仕事仲間、友人、パートナーや沢山の人から沢山の愛を受け取ってきて、その愛を感じられてはいるものの、自分が感じることがゴールで勝手に自己完結していたのだということ。愛着も愛情も、一人では決して成り立ちません。誰かや何かと心を通わせることで生まれる結果であるとちう愛の定義を、僕は見誤っていました。愛を増やしたいと思っていたのは自分のためで、目の前の大切な場所や人達のために何が出来るかという視点が乏しかったのです。
そんな自分におさらばするため、2022のテーマは「愛をそそぐ」にしました。バージョンアップ、です。会社の上司にも「永田くんは哲学者だね」と言われるくらい考えることは好きですが、それを誰かに向けて表現することは苦手。相手にとって価値として伝えることは尚更だと感じています。
今年は社会人3年目で育てられる側から育てる側に回る機会も増え、そこには責任も伴ってきます。パートナーや家族、友人との関係性ももっともっともっと濃くしていきたい。一年後には一皮も二皮も剥けた大人になれるよう、毎日寝る前に「今日はあの人に愛を与えられたかな?」と自分に問いかけ行動し、一歩ずつ未熟者からの卒業を目指していきます。
今年も色んなご迷惑とご心配をおかけすると思います、、。が、皆さんと沢山遊び、沢山学び、忘れられない思い出を増やしていきたい所存ですので、何卒よろしくお願いします!
初詣の帰りに船岡山から見た京都の街。いつまでこの景色を眺められるかなー。