Misskeyにたどり着くまでのエピソード
どうもこんにちは、NegitukaiTNBと申します。今回はBackspaceKeyのアドベントカレンダーに遅れながら参加させていただきたいと思います。今回はなぜMisskeyにハマってしまったか、これまでのFediverseにおける自分の経歴や、きっかけなどを書き綴った上で語っていきたいと思います。
Fediverseにきたきっかけ
元々私はFedibirdを中心としたMastodon系のFediverseに生息していました。Mastodonを知ったきっかけはIT Mediaさんによる記事や、「mstdn.jp」や「friends.nico」「Pawoo」などの三大サーバーの存在がとても多く、これらのサイトにふれる機会がなければ、Fediverseそのものに触れることがなかったと思います。当時はTwitterではユーザー層の増加によるトレンドや治安の悪化を感じる部分が個人的にあり、自由気ままに呟ける場所がほしいなあと思い移住していきました。当時はMastodon?Fediverseってなんぞや?というイメージでしたが、だんだんActivityPubのほんわかな仕組みがわかっていくごとにFediverseからサーバーの運営に興味が湧いていくこととなります…
しかし最初に来たときは長続きせずに、そのままたまにくるくらいで放置してしまうことになりますが、また再びFediverseに戻ることになります。
鯖缶になろうとしたが無理だった件
2018年に再び個人的にMastodonの第二ブームに入り、別のサーバーに入れ浸ることになります。今度はサーバーの運営を個人的に調べてたり実際に実行しようと海外のサーバーを借りようとします。当時仲が良かった某氏とオブジェクトストレージを共有しようぜみたいな感じでしたが、よくわからないが関係がこじれてしまいボツになってしまいます。しかしローカル環境でSSL発行やNginxやサーバーの運営の基本的なバックグラウンドについて少し触れたことがとても個人的に刺激を感じるものであったものだったと感じています。
Misskeyとの出会い
コロナ禍以降、本格的に移行に乗り出すようになります。またTwitterよりもMastodonに自重を傾けていくことになり、タイムラインでは色々なサーバーが産まれそして閉鎖していくことも見ることになりました。その中でMisskey.xyzやMisskey.ioなどの名前も聴くこともありました。当初はあまり興味がありませんでしたが、ネットの知り合いがMisskey.ioを初めたんだと聴いて、ものは試しに登録しよう!となり、これが初めてMisskeyに触れたエピソードでした。
Misskeyを初めて触れた感想は、やはり高機能であり絵文字によるリアクションはとても面白いけれど、利用者側からすればとても重たく常時使用するには難しいかもしれないということで、たまに訪れる程度のサーバーになっていた気がします。このような関係が一年半くらい続くことになります。
Twitterの混乱とBackspaceKeyへの進出
今年に入ってからTwitterは混乱の時期に入っていくことになります。皆さんご存知「イーロン・マスクによるTwitter社の買収」です。当初は変わりなく行っていた運営が「X」に変わることによって、既存ユーザー層が不安を覚え、閲覧程度に潜め他SNSに移る人が一時的に増えることになりました。自身はそういうこともありませんでしたが、BackspaceKeyこと、ばすきーにいくきっかけになったのは「ドリキンさんやさくらインターネットさんが関わっている」とFedibird(Mastodon)で見かけたことで興味を持ち、即登録したことでした。ドリキンさんは連続散財小説で知っており、日常を眺めているだけでもとても興味深い動画だなあって思っていて、なおかつ日本のレンタルサーバーなどの事業で有名なさくらインターネットさんが関わっている(後にBackspace.fmを支援して、そのメンバーであるかなるさんが運営していることを知りましたが)ということで再びMisskeyのサーバーに登録させてもらうことになりました。
最後に
短い文章になってしまい申し訳ないですが、ご視聴ありがとうございます。Fediverseに行くきっかけや、Mastodonのサーバーを建てようと調べていたり、BackspaceKeyにたどり着くまでのエピソードを軽く書かせていただきました。改めてBackspaceKeyのアドベントカレンダーに参加させてもらいありがとうございます。皆さん良いお年を!
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