「子育て論」を持たない論
44歳です。双子16歳がいます。
44歳にもなって、急に金髪にしたり、全国をうろうろして家に帰らなかったり。でも高校生がふたりいる。なんか違和感でもあるんでしょうか?、やたらと「どうやって教育してるんですか?」って聞かれる。
してなさそうなんだろうな笑
そして、ご名答です。
その都度答えているんだけど、教育論なんてない、しかいえない。だって、本当にそんなもんないんだもん。
妙なポリシーを持たない
で、なんで、そんなもんがないのか。もちろんそれなりに考えてみたりしたこともあったりなかったりしたよ。で、螺旋的にぐるぐるした上で、結局、論じない、それらしいポリシーや方針や、妙な想いを持たない。ってなった。
それでも唯一残ったのは「死が分からないときに、死だけ避けさせる」以上。
それ以上は、子供のためという親の自己満足でしかない、と(そうじゃない!って言われがちだからあんまり言いたくないけど)。いろんな体験から痛切に感じる。
自分はこういう教育を受けさせてもらってよかった、って、時代の状況や人類の感性が不変ならいいのかもしれないけど、そうじゃない。ともすれば、想いとは裏腹に、自分の成功体験を押し付けることになってしまい、変化に対応できない人間を製造しかねない。(悪意がないから、そっちにひっぱられがち)
これを、格好よく言うと、自律した人間になってほしい、なんだろうけど、だったら、だからこそ、もっと放任したらいいんじゃないか。そのほうがポテンシャルを最大発揮するんじゃないか。そう思うコトばかり。
でもやったことは、、、恫喝
とはいえですよ、ちょっとだけ教育(っていうのか疑問はあるが)でやったことはあるんですよ。
誤解を恐れずに言うと、2つの恫喝だけは徹底しました。自由の正反対w
・道路に飛び出すな
・ベランダに出るな(マンションの11階だったので)
時代的な言い方では、完全な「飛び出し禁止ハラスメント」です。トビハラか、キンハラか。トビキンハラか。最後は語感ダメね。
道路に飛び出そうとしたときに、もうそれはそれは猛烈な恫喝をしました。ガクブルするレベルで追い込みました。たぶんだけど「意味不明だけど、なんかすげぇ怖くて嫌だ。ボールを取りに行くより、ボールを失おう」と思ったと思います。2歳くらいかな。3歳くらいかな。そのへん。
ベランダも同様です。
ケガなんかしたらいいんだ。つらい想いも、嫌な想いもしたらいいんだ。失敗もガンガンしたらいいんだ。むしろ、そこからの気づきや学びがあるから。過保護はもちろん、保護でさえも、免疫不全を起こすから。逆に、そういう体験は、免疫力がアップして、結果、悦びの幅も広げる。
でも、死んでしまったら気づきも学びもない。だから死に直結することのみ強制的に制御した。それが、道路とベランダでした。
あとは「好きにしな~、俺も好きにするから~」だけ。
・今日は学校いきたくない?いかなきゃいいじゃん
・眠い。寝りゃいいじゃん
・遊びたい。おー、遊べ遊べ。むしろいいぞー
そしたら、本当に好きなことをみつけるんです。好奇心旺盛になるから好きが現れて、いつのまにか夢中になるんです。
夢中を勝手にみつける
双子その1は、物理学ですごいみたい。物理学って何?というアンポンタン親父なので、知らんけど。アインシュタイン?そーたいせーりろん?
双子その2は、フォートナイトでアジア最高ランク8位。ずっとゲームしてる。ゲームすることを、トレーニングする、という。でもそうか、もはやスポーツだもんな。ゲーム=遊び、ってそれこそ時代錯誤だよな
時代はずっと変わり続ける(自分の体験は足枷のケースも)
子どもは、立派な一人の人間(ただ年齢が違うだけ。わかってるよ)
だから大事なのは、親がイキイキ・ワクワクしてることなんだろうな。子どもは立派な一人の人間だから、みてるよ、きっと。子どもを子ども扱いしないほうがいい。少なくともお金で過保護にするのは、子どもを同調タイプに追いやってしまうかもしれない。そこに拍車をかけて、お金で過保護にしようとすると、親がお金に疲弊する。そうすると当然イキイキワクワクしてないから、人生ってつらいのかもって思わせる。みたいな。
イマル・イマル・イマル
生きてるだけで丸儲け。a.k.a. イマル。
明石家さんまってすげぇな。イマルって名前、すごいなー
なーんちゃって。
※いろいろさておき、生きるのに「屋根」は大事よ、マジで。